2007年11月14日(Wed) 11:39
<稲尾さん死去>「彼がいてこその西鉄」 惜しむ声相次ぐ
13日死去した稲尾和久さんと西鉄で同僚だった野球解説者の豊田泰光さん(72)は「言葉もない。親兄弟をなくしたのと変わらないショックだ」と寂しそうに語った。
1950年代半ば、西鉄ライオンズは名将・三原脩(おさむ)監督のもと、エースの稲尾、主力打者の中西太、大下弘、豊田らが中心となって黄金時代を築いた。56年から58年まで宿敵・巨人を日本シリーズで3年連続で降した。「稲尾がいてこその西鉄だった。僕ら野手がエラーで足を引っ張っても、いつも彼に救われた。借りはたくさんあるが、まだ全然返していないのに……」と豊田さん。「人柄も自然で、スポーツマンとして理想の人だった。彼が亡くなって、僕の心の中で『西鉄』は完全に終わりました」と語った。
稲尾さんの温厚な人柄を惜しむ声も多い。稲尾さんとのコンビで、数々のプロ野球中継を担当した元RKB毎日放送(福岡)アナウンサー、隈部祟之さん(62)は「投手の配球、心理を分析して奥深い解説だった。話術も巧みで、どんな質問にも答えてくれ、温かい人間性を感じた」と振り返る。隈部さんがラジオ実況中に体調を崩し、中継を中座した時には、稲尾さんが別の解説者と2人で放送を続けてくれたという。「『おれたちも登板時には体調を整える。お前はプロとして甘い。もう一度考えろ』と説教された。普段は決していばらず、人を傷つけない方。大投手の言葉は重かった」としのんだ。
◇球界見守ってくれ
西鉄時代の同僚、中西太さんの話 体調が悪いのは聞いていたがびっくりした。彼と私の関係は、人には計り知れない。天国には(同じく西鉄の同僚で、元オリックス監督の)仰木(彬)さんやおやじさん(西鉄の三原脩元監督)もいるので、球界を見守ってくれ。本当にさびしい。
◇一人にやられた
川上哲治・元巨人監督の話 まだ球界にプラスになる人だったので残念です。(巨人と西鉄が対戦した)1958年の日本シリーズでは、稲尾君一人にやられた。私の現役最後の試合でも投げていた。とにかくコントロールが良く、(球が)速いし重い。点を取るのが難しい投手だった。
◇まだ70歳、早い
ソフトバンク・王監督の話 温和な感じで親しみやすい人だった。まだ70歳、早いという感じがする。1963年の日本シリーズで巨人と西鉄が対戦し、その時は剛腕と言うより、頭脳的な投手という感じ。投手のお手本になるような投球だった。
◇強さの中に優しさ
漫画家の水島新司さんの話 本当に急で思いも寄らない死だった。今年2月にソフトバンクのキャンプで顔を合わせたのが最後。少し離れて練習を見ていたので「一緒にグラウンドへ入りましょうよ」と声を掛けたが、元気な様子だった。いつも控えめで「鉄腕」の愛称からは想像できないような優しい人。「あぶさん」を執筆するため、ロッテ監督だった稲尾さんをよく取材した。物静かだが男意気のある人で、彼を悪く言う選手は一人もいなかった。強さの中に優しさを秘めた愛すべき大投手だった。
◇包容力があった
西鉄ライオンズを描いた「獅子たちの曳光」の著者で作家、赤瀬川隼さんの話 急な話でとにかく驚いている。最後に会ったのは10年以上前だが、元気なころは私の草野球チームに、ほかの西鉄ナインとともに快く参加して頂いた。周りを心地よくする包容力がある人。稲尾さんだけでなく、あの時代の野球選手は人間としても、良くも悪くも破格だった。もうあんな選手たちは二度と現れないだろう。