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<title>ガラクタのハコ</title>
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<description>まとまりのないガラクタでも、まとめてみると案外タカラモノ？&lt;br /&gt;
エッセイ・短編小説など、短いものを随時アップしていきます。</description>
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<title><![CDATA[どんがら汁は庄内浜の冬景色]]></title>
<description>
<![CDATA[　鶴岡人が冬になると旬をのがすまいと、手ぐすね引いて待つ食べ物に鱈がある。寒鱈である。<br />
　鱈は十二月頃から獲れ出すが、やはり一月末から二月初めの厳寒こそ旬であろう。しかもその短期間に最も美味く食べるチャンスは一、二回か。それをひたすら狙っているのが家庭の主婦。とにかく各家庭で一辺は食べないと落ち着かない。<br />
　<br />
　行きつけの魚屋からの情報を今か今かと待つ。今日は船は出たのかと天気を気にする。もどり船漁の由良鱈のよいのが入ったと届くや、早速かけつけ主婦の確かな目で見定める。<br />
　鶴岡では魚にしろ、山菜にしろ的確に旬をとらえ品定めするベテランは、料理屋の板前などではなくて、家庭の主婦と断定してはばからないのではないか。ただ、今はどうだろう。<br />
　<br />
　昔は魚屋の店先の雪の上に十キロ余りの鱈がどでーッと転がっていたもので、そこにマント姿のかあちゃんたちが立止って吹雪に曝されながら買う算段。<br />
　鱈のごろりの様はスマートとはいえない。そのどてーッと白い腹をむき出した、それこそ鱈腹。<br />
　鱈は決して高級魚ではない。しかも庄内浜だけの魚でもない。むしろ全国あちこちで獲れる、ありふれた魚といってよい。<br />
　そのありふれた鱈を鶴岡人は、これ以上ない程の最高の味として堪能する。<br />
　寒鱈のどんがら汁である。その名の通りどんがらの味噌汁。<br />
　ちなみにどんがらとは普通胴と「がら」又は「あら」のこと。他に胴（から）、胴がからっぽ、又胴がらみの料理という説。<br />
　いずれにせよ、がらやあらとなれば殆ど捨ててかえりみない代物（しろもの）である。<br />
　<br />
　よく聞く話に東京に寒鱈の保証つきをクール宅急便で送ったところ、なんとどんがらもタツ（ダダミ、白子）もアブラワタ（肝臓）も捨てさり、白身だけを食べスーパーの塩鱈と左程違わないと吐（ぬ）かしたという。知らなければそういうもの。むしろそれが常識で、此方が非常識かも知れない。<br />
　コンチクショウとばかりぶった切ったどんがらにタツとアブラワタを打ち込んでの味噌汁。本来主役たるべき白身に出番はなく冷蔵庫へ。後に焼きもの、鱈ちりなどにする。なおタツは生（いき）のよいうちの刺身の味は絶品。<br />
　今のどんがら汁は大根、ネギ、豆腐又酒粕なども入れたり賑やかに食べるが、本来何も入れないようである。岩海苔くらいか。タツやアブラワタで多少くどいという人もいるが、むしろそのくどさが真冬の味である。<br />
　<br />
　どんがら汁は漁師料理である。納屋煮のひとつという。<br />
『加茂港史』によれば、納屋とは「鱈場納屋、鮭鱒納屋といってその漁獲時期が来ると船を立て漁夫を雇い漁の網元になる家のこと」という。そして「鱈を大漁したときや寒明けになって鱈漁をやる時など『あごわかれ』ごいって納屋の家に集り納屋鍋という特別大きな鍋で煮るのを鱈場納屋の納屋煮というのである」とある。<br />
　船から揚ったばかりの鱈の何尾かを納屋に持ち込み、手早くさばく。灯を点（とも）し、切り炉に薪をくべてどんがら汁を作る。漁師たちは夜っぴて焼酎をかたむけどんがら汁をすする。それ以外に何もない。<br />
　何も育たない真冬の自然は、海はただ荒狂うばかりの不毛の世界である。<br />
　外は闇、タラバショ（鱈漁をする漁師、タラバオジという言葉もある）はおそいかかる吹雪と猛り狂う波の音で闇を見抜く。<br />
　正月明けから節分頃までの寒鱈漁は命がけである。タラバショは気が荒いという。<br />
　日本海の魅力、いや庄内浜の魅力はむしろ夏よりも厳冬にあるといってよい。波の華の乱舞する海岸にわざわざ車を飛ばす。<br />
　<br />
　どんがら汁は納屋煮として、昭和五、六年頃まで網元でつづけられたという。<br />
　現在われわれが食べるどんがら汁には普通白身を入れないが、最初からそうだったのか。白身は塩にして保存しておく。家庭で鱈料理といえば殆ど塩鱈といってよかった。<br />
　貴重な白身を取り去ったそれこそどんがらをすするとなれば何か素朴な料理のイメージ。<br />
　しかし『加茂港史』などを見ると、決して素朴な料理のようには思えない。<br />
　先ず鱈は一本釣りの上質のもの。アブラワタの吟味、味噌は三年味噌。そしてここでいうどんがら汁のどんがらは、胴がらみ丸切りしたからではないかという。<br />
　しかもタラバショを雇っている網元の家でつくるのである。<br />
　その限りでは素朴な料理どころか、豪華料理という感じさえ受ける。<br />
　<br />
　そのどんがら汁を鶴岡の一般家庭でもつくって食べるようになったのは、何時の頃からどういう経過を辿ってか。<br />
　鶴岡の家庭ではこれ以上ない鱈を射止めたかあちゃんが、夕餉のメインにと自信たっぷりどんがら汁をつくる。<br />
　市街も吹荒ぶシベリア降しで、窓という窓は鳴りひびき猛吹雪、地吹雪である。<br />
　しかし夕餉にいそしむ茶の間はあたたかい。どんがら汁の世界である。せっせとしゃぶり、スワズリ（吸う）、わずかばかりの身を骨からせせる。そして食べつくされた骨という骨は、食卓の真中のカラ入れ（食べ滓入れ）に投げ入れる。見る見るうちにカラ入れが一杯になる。<br />
　翌朝台所の流し場にその骨が見捨てられたように置かれて、所々白っぽい、いやきらきらさえしている。夕べからの寒さで凍りついているのだ。<br />
　<br />
　それで思い出したことがあった。<br />
　太平洋戦争が始まった頃だったと思うから小学校六年だったか、一月から二月にかけての寒休みだった。叔母夫婦が久方ぶりに夜訪れるというので、祖母は魚屋に走り鱈を買ってくる。この叔母は祖母の三番目の娘。長女は私の母。その叔母の夫は陸軍軍人。正式にはどう呼ぶのか覚えがないが、技術畑で当時准尉（少尉に准じる）。れっきとした将校服で軍刀をつるした姿はカッコよかった。私はその叔父の軍服姿が見られるので、何となくはしゃぎ気分で、ご馳走の支度に忙しい祖母の周りをうろついた。<br />
　ところが何でかは思い出せないのだが、勤め先の小学校から帰ってきた母から怒られたのである。母は機嫌が悪く私の何が悪かったのか、とにかくオオゴケ（ひどく怒る）された。それに私は素直になれなかった。<br />
　押し黙ったまま部屋に引っ込んで、叔母夫婦が見えても茶の間に出て行かなかった。ムツケタ。つまりすねたのである。はしゃぎ気分など消しとんだ。登校拒否ならぬ茶の間拒否。<br />
　茶の間では酒盛りの最中らしく、叔父の張り切った大声に父の応対する低い声。手のひらを返したような母の笑い声。<br />
　私は小机に向って頑（かたく）なに雑誌のページをめくりつづけたが、耳は完全に茶の間。<br />
　祖母が催促にくる。ふッと心が動くが背を向けたまま。最後までムツケルつもりはないのだが、あっさり軍門に降るのを潔（いさぎよ）しとしない。<br />
　茶の間は一段と賑やか。どうも私のことなど一顧だにしてないのではないか。所詮私の一人相撲か。ごろりとあおむけになったところに、叔母の顔。きっかけをつかんだつもりで起きあがりかけた時、父の睨む目と打っつかる。<br />
「そうしていつまでもムツケてろ。ご飯は食べなくともいい」<br />
　と怒鳴って消えた。<br />
　再びごろり。これで幕。どんがら汁もきっかけも消し飛んだ。ふて寝をしているうちに本当に眠ってしまった。<br />
　<br />
　翌朝この冬一番といってよい程冷えた。流し台に立つと氷が張っている。その片隅のカラ入れに山のようになっているどんがら汁の骨があった。私以外の皆がしゃぶり、スワズリ、せせった残骸である。凍りついてきらきらいている。これ見よがしにである。<br />
　私はうがい水を思いっ切りその骨の山に吐きだしてやった。<br />
　何ともカワイクないガキだったのだ。]]>
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<dc:date>2008-03-07T11:21:00+09:00</dc:date>
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<title><![CDATA[ハタハタは手でワッチワッチ（遮二無二）と]]></title>
<description>
<![CDATA[　ハタハタは私にとって、もう郷愁の魚になりつつあるような気がする。<br />
　以前程獲れなくなった。近頃は韓国あたりからも入ってくるという。<br />
　魚屋を覗くとあることはある。今は夏だろうと秋だろうとせつ（節）を問わない。ハタハタは十一月から十二月にかけてと決まっていた。それから値段である。一尾八百円もすることがあるという。ちょっと考えられない。<br />
　魚屋の店頭の一隅に、さらりと行儀よくパック詰めにされてすましているような雰囲気。最近あまり食い気が沸かないのはそんなせいか。しかも食べても昔ほどではない。<br />
　そんなこんなで私には何かもう、郷愁の魚としてしか映らないようになったのかも知れない。<br />
　<br />
　ふんだんに獲れた時分は、せつになると各家庭はもちろん、飲み屋、料亭どこでもハタハタ、ハタハタとなった。<br />
　せつとは旬のこと。鶴岡の老若男女はさあハタハタだと、猛然と食い気が沸き立ち、かあちゃんたちは魚屋に走る。旬を逃すと、鶴岡人の沽券にかかわるとばかりのこだわりよう。<br />
　魚屋の店頭には、生（いき）のいい二十センチ程のハタハタが山積み？され、魚屋のとうちゃんは客の入れ物にぽんぽん投げ入れ、二、三尾はお負けという威勢のよさ。<br />
　大黒様のお歳夜（としや）などは、ハタハタがないと越せない感じである。<br />
　<br />
　子供の頃、夕食にハタハタの湯あげを食べた記憶がある。叔母たちがまだ嫁いでない頃で八人の大家族。二つの飯台で片方は両親と私と妹、もう片方は祖母と三人の叔母。それぞれの飯台に祖母は、大皿にハタハタの湯あげをそれこそ山盛りにしてどんと出す。さあこれから仕事にかかるぞとばかり一斉に食べ始める。<br />
　最後になると叔母たちの方の皿に数尾程残る。私はそれを待っていたかのように、手を伸ばしてブリコ（卵）探し。<br />
　湯あげは背骨がつーッと抜け、全部食べられる。生姜や大根おろしをそえるのだが、子供達にはお呼びでない。しょう油ひとすじ。<br />
　とにかく大皿から自分の皿に取っては食べ、取っては食べ、セト食い（せっせと食べる）状態。しかも手掴み。それこそ一心不乱にワッチワッチと喰う。三、四尾は瞬く間。<br />
　<br />
　ハタハタは高級魚ではない。大衆魚、むしろ下魚に近い。なりふりかまわず手や口をぬらぬらと濡らしながら、ワッチワッチと食べるところに美味さがある。一時は茶の間がハタハタの生臭さで酔いしれるようである。<br />
　子供はブリコが好きである。私もブリコのぱんと入った雌をすばやく探して、先ずは身をワッチワッチと食べブリコは残しておく。とっておいた何尾分かのブリコを最後に頬ばる。噛むやぷちぷちとその感触がなんとも楽しい。ご飯にたっぷりかけ、しょう油を垂らしてかっ込んでも美味い。<br />
　もちろん身は白子の雄の方が美味い。しかしその癖が抜けないのか、大人になってもブリコの方を選ぶ。<br />
　<br />
　湯あげの他にしょう油漬にして焼く。又田楽、白焼もそれぞれ美味いが、小ぶりの生（なま）干しを、さっと焼いたのは酒の肴にもってこい。骨ごといくらでも食べられる。<br />
　<br />
　ハタハタには鱗（うろこ）がない。その肌はぬめッとのっぺり。外国では鱗のない魚は食べない民族がいるという。<br />
　確かにそのぬめぬめした肌、はたはた特有の生臭さが好きになれない人もいる。余所（よそ）の人に見られるが、最初はそうでも何時の間にか、意外と淡泊な味に病みつきになる人も少なくない。<br />
　<br />
　とにかくハタハタは獲れなくなった。庄内だけでなく隣の秋田県とて同様。<br />
　秋田人のハタハタ好きは庄内人の比ではないという。<br />
　塩ふり焼きに田楽、とくに「しょっつる」、ハタハタずし、ブリコ料理は全国的に有名。民謡にもあり、喧伝されおしもおされぬ郷土料理。<br />
　そこには庄内人にはない秋田人のコマーシャル根性というか、お祭根性というか、何かしたたかなものを見る。<br />
　獲れなくなったからと、ハタハタをもう郷愁の魚に追いやるようなことを吐（ぬ）かしては、秋田人に怒られそうである。]]>
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<dc:date>2007-11-20T21:25:00+09:00</dc:date>
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<title><![CDATA[くっそー]]></title>
<description>
<![CDATA[そんな時もあるさーと鷹揚に構えようとか思ってみても、あたしゃそんな人間できてないですからね。なにをやってもやらなくてもうまくいかない。やりたくない。ぼけーーっと一日過ごしてしまって、今日も自己嫌悪だ。くそー。<br />
ぼけーっとなにをしてるかとゆーと、ネットをぼけーっと眺めてる。<br />
なんだかもうもうネットの中は「がんばりますっ」の「がんばってます！」の「やったるでー」のと、前向きな方々ばっかしで、疲れることよなあ。<br />
ああもう、無駄に元気な年寄りは早く死ねばいいのにー。お前らがいつまでも偉そうなこと言ってっから、世の中うまくいかんのだー。昔どんだけギョーカイでならしたか知らんけど、あれもこれも自己申告の「すごい人」でしょ？　だって、実際に仕事したモノの実名上げてくんないんだもん。わかんないよ。あたしも同じギョーカイにいるわけだけど、この狭いギョーカイであんたの名前なんて聞いたことないよ。<br />
しかーし、驚くのが、その自己申告の「すごい人」にも信者ってのがいて、いつもいつも「すごいですねえ」「大変ですねえ」「尊敬しますー」なんてなコメントがつくこと。<br />
あんたら、なに見てそんなん言ってんの？　あたしの見えないなにかを見て言ってんの？　それにしても、一人のただのおさーんにそんなん忠誠誓ってるって時点でキモーイよ。<br />
<br />
ああ、ほんの少しでも「この人に相談したらいいかも？」とか思った自分が怖い。そして、なんだかわからないけど、なにかイヤんな気持ちがして相談なんかにいかなかった自分をほめたい。<br />
ほんとーに、かかわり合いにならなくてよかった。]]>
</description>
<dc:date>2007-10-24T22:21:00+09:00</dc:date>
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<title><![CDATA[庄内柿と庄内美人 -2]]></title>
<description>
<![CDATA[　鳥居町は庄内柿も多かったが美人も多かった。<br />
　美人で評判の高かった作家横光利一の奥さんの実家が私の家のすぐ裏手にある。夏休みには横光夫妻と子供が見えていた。家を継いでいる姉さんもきれいだった。<br />
　左隣にも美人姉妹がいた。妹はまだ女学生だったが、花嫁修行中の姉の方は華やかな顔立ちで明かるく、気さくにわれわれ子供達の相手をしてくれた。多分隙だったのだ。夏になると帰省した近所の大学生がよく覗きにきた。<br />
　<br />
　余所（よそ）の人は私の母を美人という。いや小宮山家は美人系と大仰なことをいう人もいる。<br />
　私は少くとも小学校五年までは、母を別に美人と思わなかった。教師の母は毎晩のようにおそく帰り、不機嫌なことが多かった。しかも同じ教師である父とは、私達子供の前でもよく口喧嘩。そんなことから母が美人に見えなかったのかも知れない。<br />
　ところが小学校六年の時、母は私の通っていた小学校に転任してきた。母は学校では家とはまるで違って終始笑顔で、なる程他の女先生よりきれいに見えたのである。<br />
　その頃だったか、アルバムをひっくり返していると、たまたま母の師範学校時代の写真を見つけた。多少セピア色がかっていたが、若い和服姿の母が何とも美しく写っていた。映画女優のブロマイドのようだった。<br />
　その後初対面の年輩の人から<br />
「あの美人センセの息子さんで」<br />
　などと言われると多少くすぐったかったが、お世辞にしろ満更でもなかった。<br />
　<br />
　庄内美人は品のいい瓜実顔（うりざねがお）とか。その瓜実顔は何気ないところで、おやッと思わせるようである。その辺の路地ですれ違う、店の奥から手をふきふき出てくる。何気なくである。何かひそんでいる感じ。<br />
　<br />
　ひそんでるといえば中学生（旧制）の時、こんなところに庄内美人がと目を見張ったことを思い出す。<br />
　当時は戦時中、農家は人手不足で中学校では田植えと稲刈りの時期に勤労奉仕なるものを行っていた。一種のボランティアだが、学校あげての強制奉仕である。<br />
　一年生の秋。場所は忘れたが駅を越えて行ったような記憶がある。どういうわけか同じ町内の四年生と組まされ、割り当てられた農家は小作農のようだった。家は何年も葺（ふ）き替えないような、苔の生えた茅（かや）屋根の陋屋（ろうおく）といった感じ。<br />
「これじゃタイグウは期待できないナ」<br />
　先輩は露骨なことを言う。<br />
　タイグウとは待遇のことで、生徒仲間でおやつや昼食時のお汁などの程度から、今日の家のタイグウが善いの悪いのと言いあった。ロクに稼ぎもしないくせにである。<br />
　今回はそのタイグウよりも何よりも、その家の姉妹が美人なのに目を見張ったのである。陋屋に似合わず、又農家には見かけない実にアカ抜けた庄内美人。<br />
「掃き溜めに鶴か、実はやんごとなきお方の隠し子だったりして」<br />
　先輩は古文でならった表現を使ってみせる。<br />
　田んぼで稲刈り中は、ハンコタンナ（労働用に顔を包む細長い帯状の布）のようなものをしているので判らなかったが、お昼に座敷に招じ入れられて姉妹と顔をあわせ、目を点である。<br />
　まだ中学一年の私でさえどきッときたのだから、先輩はなおのこと興奮と緊張を一緒にしたような調子でお汁のお代りをしていた。<br />
　当時は男女共学など中学では考えられず、上級生などは近くの女学校の前を何かにつけてはうろつきたがったのだ。<br />
　姉は襟もとを大きくくつろげ幼児に乳をやっている。その豊かな乳房と真白い肌がまぶしかった。<br />
　妹は姉より明かるい顔立ちだが、似ているところを見ると、義妹ではなくしたがって姉は婿取りのようである。その婿が兵隊にとられた様子。<br />
　先輩は午後からの稲刈りに何か無暗に張り切る。<br />
　帰り際妹の方が子供を抱きながら駆け出してきて、三時休みの霰（あられ）菓子などの残りを渡してよこした。そして子供の手を振るようにして見送る。<br />
　陋屋を背にし、わずかに色づき始めた庄内柿の木の下に立つ。絣（かすり）模様の野良着姿の庄内美人。秋の夕映えに何かはるばると、そして犯しがたいような風景。<br />
　先輩は何べんも振りかえりながら<br />
「庄内美人と庄内柿か、絵になるな」<br />
　彼は美術部なのである。]]>
</description>
<dc:date>2007-10-08T18:33:00+09:00</dc:date>
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<title><![CDATA[庄内柿と庄内美人 -1]]></title>
<description>
<![CDATA[　此辺で柿といえばもちろん庄内柿である。もう今はそれしかないという調子。平核無（ひらたねなし）柿とも称してタネのないのがミソだが…　いわゆる受精能力がないわけで、その点欠陥品であろう。<br />
　しかし人間の側にたてばタネなしは食べやすいわけで、しかも美味となれば欠陥品どころかエリート。<br />
　とにかく今日の庄内柿になるまで随分改良を加えて商品価値を高めてきたようで、整然と管理された柿畑をよく見かける。<br />
　羽黒の松ヶ丘などがその例だが、柿の木がみな一様に床屋に行ってきたように、きちんと整枝剪定されている風景は見事。<br />
　そして収穫された柿一粒一粒の端正な姿には、農民の丹精を感じる。<br />
　四角型のつややかな色あい。そしてその果肉はみずみずしく品性ある果実といおうか。<br />
　ダダチャ豆と民田茄子（みんでんなす）と、この庄内柿を庄内畑作の三大芸術品と称してはオーバーか。<br />
<br />
　柿は香りもなければ酸味もない甘味だけといわれるが、庄内柿はその淡泊ともいえる甘味が歯ざわり舌ざわりと相俟って、さわやかであり又したたかでもある。<br />
<br />
　最初の頃、庄内柿はあまり人気がなかったらしい。そのひとつに渋抜きがうまくいかなかったことがあげられている。<br />
　小学生の頃、わが家にデンクロー柿があった。この柿は湯ざわしで簡単に渋が抜け、タネは多いが甘い。庄内柿を白砂糖とすれば、黒砂糖というところか。<br />
　当時柿買い業者はデンクロー柿の方を値段よく買っていたようだった。<br />
　戦後気がついたらわが家のデンクロー柿は消え、庄内柿だけになった。今でもデンクロー柿を好む人もいるようだが。<br />
　<br />
　子供の頃の鳥居町の各屋敷内には、柿の一、二本は必ずあった。庄内柿の発祥地が鳥居町ということとは関係あるまいが、秋になるとたわわな実りを競った。甘柿もあった。<br />
　いや柿だけとは限らない。梅も大抵あった。あとはアンズ、ザクロ、イチジク、梨など。向いの家には栗の木もあり、花咲く頃には独特の匂いが一面にただよった。<br />
　子供達は誰の家に何があって何時食べ頃かよく知っていた。学校から帰るとガキ大将を先頭に、<br />
「今日はＢちゃんのところに行こう」<br />
　木に登りながらアンズを採って齧りつく。その下で女の子などは桑の実で唇をブシ色（むらさき色）に染める。<br />
　無断であるが必要以上は採らない。各家庭でもおやつ代りと黙認の体（てい）である。<br />
　ひと区切りつくと生垣をもぐり、笹やぶを漕いで行動開始。各屋敷から屋敷へと縦横無尽に駆けまわり探検？自然の色々を発見し、下手な名所めぐりより興味津々。その自然や建物を利用して隠れん坊に兵隊ごっこ。<br />
　或時など便所の小窓がカラリと開いて<br />
「こらーッ」<br />
　びっくりして見るとＢちゃんの姉さん。大か小か知らんが用を足して立ちあがり、ズロースを引きあげながらのようで、此方を向いて笑っている。鶴岡女学校の生徒。美人である。<br />
<br />
<br />
<DIV style=text-align:right>つづく<br />
<span style=font-size:85%>庄内柿と庄内美人はどこか似ている？</span></DIV>]]>
</description>
<dc:date>2007-10-07T16:23:00+09:00</dc:date>
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<title><![CDATA[こんにち「わ」]]></title>
<description>
<![CDATA[いや、別にあたしゃ先生でも国語審議委員会でもなんでもないんで、そんな目くじら立てるつもりはないんですが、そのー「こんにち<span style=color:#CC0000>わ</span>」「こんばん<span style=color:#CC0000>わ</span>」ってのが、どーーーも気持ち悪くて仕方がないんですよ。<br />
<br />
「こんにち<span style=color:#CC0000>は</span>」<br />
「こんばん<span style=color:#CC0000>は</span>」<br />
<br />
ってのが、正しいんじゃないかと思うんですが、今やそんな時代じゃないんですかね？<br />
だって、ものすごーーーく多いんですよ<span style=color:#CC0000>「わ」</span>って書く人。<br />
それも結構年輩の人がメールとかブログとかで、そう書いてる。<br />
<br />
元々「今日は、よいお日和で」とか「今晩は、御機嫌よろしゅう」とかの略でしょう。まあ今はそんなん挨拶で言う人はいないわけなんで、「こんにちは」「こんばんは」が独立してひとつの言葉になってしまい、その語源とか関係なく、音だけでみんな話したり書いたりしてて、だから「こんにちわ」になっちゃうっていう、そういうことですかね？<br />
ま、書き言葉も話し言葉もそんなこんなで変化してきたわけだから、「こんにちは」→「こんにちわ」は、今その変化の過渡期ってことなのかもしれないんですけどね。あたし個人としてはどーーーーも気持ち悪い。<br />
しかも若い人が書いてるのはまだ許せるんだけど、いい年したおっさん（と思われる人）とかが書いてると、なんかもうもう「頭悪そう」とか思っちゃう心の狭いあたしなんですのよ。<br />
他の人から見たら、あたしもイヤンな言葉遣いとか書き方とかしてて、同じように「頭悪そう」とか思われてんでしょうなあってことはわかってるつもりですけどね。<br />
<br />
でも気持ち悪い。]]>
</description>
<dc:date>2007-10-06T23:49:00+09:00</dc:date>
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