2007年02月15日(Thu) 17:47
新派みたい -1
いつも蛇の目傘が一本立てかけてある。ここのママは以前に温海温泉で芸者をしていた。
置屋から旅館に行くとき雨降りには爪皮の足駄に裾をからげ、白足袋をふところに入れて蛇の目をさしたものだという。その名残りの蛇の目傘である。
「蛇の目か」とつぶやいていたKが三杯目のオンザロックを手にしながらママと私に次のような話を始めた。
Kの話。
一昨年の初秋だった。私は珍しく県外出張で青森県のA温泉に一泊した。湯野浜温泉をもう一回り大きくしたようなところである。
宴会が意外と早くお開きになり、夜の砂浜を歩くのもよかろうと外に出た。ところが海岸に降りる途中パチンコ屋を見つけ気が変りパチンコで遊んだ。温泉街のパチンコはとかく入らない。好い加減であきらめて外にでたら雨だ。近道だろうと思って急ぎ足で路地を突っ切ろうとしたら小さな寿司屋の暖簾が目に入った。雨宿りがてら寿司で飲みなおすのも悪くないなと戸を開けた。何かひっそりした感じである。誰もいない。こじんまりした店で五、六人も座れば一杯である。「今晩は」といいながら付け台の前に立った。陰の小部屋で不意に人の気配がしたかと思うと「いらっしゃい」と現れた、そのオヤジさんの顔を見て私は「てっつぁん」と唸った。しばらくしてようやく私を思い出したその「てっつぁん」の顔はくしゃくしゃとなって「Kのぼっちゃん」。
私が中学二年の時以来だから二十年振りである。頭に白髪が目立ち全体が丸くなった感じだが、濃い眉毛と怒り肩をそびやかすようにする癖は変っていなかった。東北のどこかの温泉町で暮しているとはうすうす聞いていたが、まさかA温泉で出会うとは思っていなかった。偶然を思い知らされたというところだろうか。
ところで私の生家は修験の霊場で知られているH山の門前町で宿坊をやっている。てっつぁんはその私の家の住み込みの使用人だった。祖父にひろわれたのだという。それまでのてっつぁんは町でも評判の鼻つまみ者の暴れ者だった。くわしいことは知らないが刃傷沙汰を起し、その後始末を祖父がつけてやり飼殺しのつもりで家に連れてきたらしい。てっつぁんは祖父には頭があがらず恩に着ていた。それ以来てっつぁんは人間が変ったとまではいかないにしても真面目に働いた。すくなくとも鼻つまみ者ではなくなっていた。
私はてっつぁんによくなついた。H山の石段をてっつぁんは私を肩車にしてピョンピョンとびあがるようにして頂上まで連れていった。小学生の頃友達と野球をしているとコーチともガキ大将ともつかぬ調子で私達子供のなかに入って遊んだりした。
一緒に風呂にも入った。てっつぁんの二の腕から肩にかけて刺青があった。子供の私は擦っても消えないのが不思議で痛くなる程擦りつづけたりした。宿坊にくるお客の前では決して肌を出さなかった。祖父や父にいわれていたらしい。前は女と同棲したこともあったようだが家にきてからは窓のない四畳半をあてがわれ一人だった。
私が中学に進んだ頃からである。てっつぁんは夜鶴岡に出かけるようになった。てっつぁんの部屋に遊びに行っても居ない時がしばしばだった。夜半十二時過ぎに帰ってきて、鼻唄を歌いながら自転車を入れる音が聞えたりした。飲みに行っているのである。
「マツコのところに入り浸っている」という声が外から聞えたきた。
マツコとはやはり宿坊で分家の一人娘、しかも跡取りなのである。どういうわけか高校の頃からグレ出してお情けでやっと卒業すると男と東京に飛び出した。数年後一人で家に帰ってきたが、家庭におさまりきれず鶴岡に出て小さな飲み屋を出した。
てっつぁんがマツコのところに通い出したのはそれから五、六年も経ってからということになる。それまでは鶴岡までわざわざ自転車を四十分以上もこいで飲みに行ったりはしなかった。何がそうさせたのか当時は誰もよく判らなかったらしい。
或晩居間を覗くと私の両親の前でてっつぁんが怒り肩を落して手をつき深く頭を垂れていた。私はその時てっつぁんは泣いているのではないかと思った。
それから一か月後の年の瀬もおしつまった霙の降る夜、居間には分家のマツコの両親と私の両親が全く難しい顔をしてテーブルを囲んでいた。
てっつぁんはマツコと駆け落ちしたのである。マツコには別に男がいたがその男がヤーさんで、ヒモ的存在でマツコを食い物にし、仕打ちがひどくマツコはほとほといやになり、半ばヤケになっていたらしい。
そんな時てっつぁんが現れた。てっつぁんはそんなマツコに同情し、てっつぁんなりの侠気(おとこぎ)を発揮したのである。まだ子供の私には判らない事情もあったようだが、とにかくこのままではマツコは駄目になるとてっつぁんは必死だったようである。てっつぁん四十才、マツコ三十才という。駆け落ち後、ヒモの男が実家に乗り込んできたという話も聞いた。又マツコ自身にも相当の借金があったらしい。私はマツコとはたまたま家にきた折などに顔を合わせたことがあるが評判程悪い人だとは思わなかった。むしろ親しみを持った程である。
駆け落ちをしたてっつぁんとマツコはその後・・・
