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2007年11月20日(Tue) 21:25

ハタハタは手でワッチワッチ(遮二無二)と

 ハタハタは私にとって、もう郷愁の魚になりつつあるような気がする。
 以前程獲れなくなった。近頃は韓国あたりからも入ってくるという。
 魚屋を覗くとあることはある。今は夏だろうと秋だろうとせつ(節)を問わない。ハタハタは十一月から十二月にかけてと決まっていた。それから値段である。一尾八百円もすることがあるという。ちょっと考えられない。
 魚屋の店頭の一隅に、さらりと行儀よくパック詰めにされてすましているような雰囲気。最近あまり食い気が沸かないのはそんなせいか。しかも食べても昔ほどではない。
 そんなこんなで私には何かもう、郷愁の魚としてしか映らないようになったのかも知れない。
 
 ふんだんに獲れた時分は、せつになると各家庭はもちろん、飲み屋、料亭どこでもハタハタ、ハタハタとなった。
 せつとは旬のこと。鶴岡の老若男女はさあハタハタだと、猛然と食い気が沸き立ち、かあちゃんたちは魚屋に走る。旬を逃すと、鶴岡人の沽券にかかわるとばかりのこだわりよう。
 魚屋の店頭には、生(いき)のいい二十センチ程のハタハタが山積み?され、魚屋のとうちゃんは客の入れ物にぽんぽん投げ入れ、二、三尾はお負けという威勢のよさ。
 大黒様のお歳夜(としや)などは、ハタハタがないと越せない感じである。
 
 子供の頃、夕食にハタハタの湯あげを食べた記憶がある。叔母たちがまだ嫁いでない頃で八人の大家族。二つの飯台で片方は両親と私と妹、もう片方は祖母と三人の叔母。それぞれの飯台に祖母は、大皿にハタハタの湯あげをそれこそ山盛りにしてどんと出す。さあこれから仕事にかかるぞとばかり一斉に食べ始める。
 最後になると叔母たちの方の皿に数尾程残る。私はそれを待っていたかのように、手を伸ばしてブリコ(卵)探し。
 湯あげは背骨がつーッと抜け、全部食べられる。生姜や大根おろしをそえるのだが、子供達にはお呼びでない。しょう油ひとすじ。
 とにかく大皿から自分の皿に取っては食べ、取っては食べ、セト食い(せっせと食べる)状態。しかも手掴み。それこそ一心不乱にワッチワッチと喰う。三、四尾は瞬く間。
 
 ハタハタは高級魚ではない。大衆魚、むしろ下魚に近い。なりふりかまわず手や口をぬらぬらと濡らしながら、ワッチワッチと食べるところに美味さがある。一時は茶の間がハタハタの生臭さで酔いしれるようである。
 子供はブリコが好きである。私もブリコのぱんと入った雌をすばやく探して、先ずは身をワッチワッチと食べブリコは残しておく。とっておいた何尾分かのブリコを最後に頬ばる。噛むやぷちぷちとその感触がなんとも楽しい。ご飯にたっぷりかけ、しょう油を垂らしてかっ込んでも美味い。
 もちろん身は白子の雄の方が美味い。しかしその癖が抜けないのか、大人になってもブリコの方を選ぶ。
 
 湯あげの他にしょう油漬にして焼く。又田楽、白焼もそれぞれ美味いが、小ぶりの生(なま)干しを、さっと焼いたのは酒の肴にもってこい。骨ごといくらでも食べられる。
 
 ハタハタには鱗(うろこ)がない。その肌はぬめッとのっぺり。外国では鱗のない魚は食べない民族がいるという。
 確かにそのぬめぬめした肌、はたはた特有の生臭さが好きになれない人もいる。余所(よそ)の人に見られるが、最初はそうでも何時の間にか、意外と淡泊な味に病みつきになる人も少なくない。
 
 とにかくハタハタは獲れなくなった。庄内だけでなく隣の秋田県とて同様。
 秋田人のハタハタ好きは庄内人の比ではないという。
 塩ふり焼きに田楽、とくに「しょっつる」、ハタハタずし、ブリコ料理は全国的に有名。民謡にもあり、喧伝されおしもおされぬ郷土料理。
 そこには庄内人にはない秋田人のコマーシャル根性というか、お祭根性というか、何かしたたかなものを見る。
 獲れなくなったからと、ハタハタをもう郷愁の魚に追いやるようなことを吐(ぬ)かしては、秋田人に怒られそうである。