2007年02月20日(Tue) 18:00
酩酊 -2
ここで私はあの事件をどうしても思い出さざるを得ない。というのは私と、先輩でもある山形大学の先生と二人で温海のナガオさんのところに夏休みに一泊で飲みに行った際、三人にふりかかった暴力沙汰である。
新聞には我々のことが「先生、ふくろだたきにあう」というような見出しで載った。事件のいきさつを今更一人になった私が(ナガオさんも山形大学の先生も今は亡い)ヘラヘラ書きたてるのもおこがましく、本意でもない。
ただ我々三人にはっきりしていることは相手側(十人程による)の一方的な暴力行為であり、此方は被害者であり、災難だったということである。だからこそその時、悪くはないのだ、泣き寝入りすることはないのだと警察に連絡ということになったのである。それが「ふくろだたき」という見出しで地方新聞どころか、各中央新聞の山形版にまで載るとは思ってもいなかった。尤も実際「ふくろだたき」といえなくもなかったのだが。いずれにせよ新聞記事になるとは誰も考えなかったのだ。
成程記事を読めば我々側が悪くないということは判ってもらえる。しかし平穏な田舎の一温泉場で教師と他県の水商売の若者達との暴力沙汰となればニュースバリューもあろうかというところである。ましてや地元の高校の校長に大学の先生ときている。県議会でも話題になったらしい。
酒の上での暴力沙汰なぞどちらが悪いか判ったもんじゃないという声も聞えてくる。自分が悪くないのだと胸を張ってみたところで教師稼業などに暴力の類いは、マス・コミにのっただけでもう拭いきれない汚点としてついてまわるのである。私の如き不良教師には別に気にすることもないのだが。しかし彼等の履いていた旅館の部厚い下駄で殴られてガクガクになった鼻柱を押えながらしばらくはションボリした。ナガオさんは額を数ハリ縫った。
或ラジオ放送局では早速暴力問題についてナガオさんを引っ張り出していた。立場上一番風当りが強かったのはやはりナガオさんだったに違いない。
ナガオさんとはその後何べんか会ったが、いつものように何もなかったような顔をして飲んだ。オクビにも出さなかった。私などはあの時一杯機嫌でストリップ小舎をのぞかなければ相手側の旅館の前を通らないですんだはずだと埒もないことを考えたりした。揚句には警察に届けたことがよかったかどうか。少なくともナガオさんにとって。私が若さにまかせて小生意気なことをいってタキツケたのでは。などなどと今更卑怯めいたことを女々しくである。
ナガオさんにそんな気持を口に出しかけたこともあったが、それこそ「コミイー、ベンキョウしろよ」と一喝されそうな気がして引っこめた。ナガオさんは自分の立場や世間体を気にして筋を曲げるような人ではなかった。
ナガオさんが亡くなったと聞いた時、その突然に驚き「なぜだ?どうしてだ?」という思いが止まらなかった。と同時にあの暴力沙汰が、口に出しかけたあの気持が、じわりとこみあげてきたのである。一寸自分でも思い掛けないことだった。
生きている人間は亡くなった人間に対して何か負目のようなものを感じるところがある。生前どうしてあの時、あんなんことをしたのかと慙愧にたえない気持におそわれたりする。「死」を突きつけられた生者のうろたえがそうさせるのだろうか。ナガオさんには人一倍それを感じたといってよい。生者は自らそのような負目を引き受けて生きて行くのかも知れないと思った。あの温海で一緒に行動をした当時山形大学の先生が後に東京で亡くなった(これも私にとっては突然の訃報であった)ときにも似たような思いが走った。
教職を退いた後の「ナガオ」さんとのわずかな交流・・・
