2007年02月16日(Fri) 20:51
新派みたい -2
あれから二十年である。とくに駆け落ちした当時の事情をほじくりかえして尋ねる気もなかった。ただお互いの近況をかわすことがなつかしさを埋めることでもあった。
このA温泉に落着いたのは十二年前だそうである。それまでは東北の温泉場などを転々としたらしい。マツコは踊りと民謡をやれることから芸者として働いた。他の芸者に負けるものかとそれから三味線も習って必死に働いた。しかし無理がたたり、身体をこわしてA温泉にきて二年で亡くなった。
てっつぁんはマツコのお骨(こつ)とやがて十才になる娘を連れて鶴岡の地を十年振りで踏んだ。そこで人を介してマツコの両親にお骨を渡し娘と会って貰った。両親はひきとって育てようといったが娘は泣いて戻ってきててっつぁんを離れなかった。両親は何が何でもという気もなくあっさりあきらめたようだと伝えてきた。てっつぁんは内心ホッとした。
ところで娘はてっつぁんとマツコの子ではないのだという。飲み屋時代のヒモの男との子だという。駆け落ちする時すでに妊娠していたのである。私はマツコが亡くなったことは聞いていたがてっつぁんが鶴岡まできたことも、娘がヒモの男の子だということも初めて知った。
「五十の手習いで」と言ってすっかり寿司職人という手つきで寿司を握って出した。このA温泉にきてから隣のT市の寿司屋で働き数年前に暖簾を分けてもらったのだという。そういえばてっつぁんはもうかれこれ六十才である。
トイレにたった時居間に仏壇がチラと見えたので「拝まさいて貰います」と座って手をあわせた。マツコの写真とそれからすでに亡くなった私の祖父の写真があった。
「恩を仇で返したようなもんで……」と言い「おじいちゃんが生きているうち一度お詫びにH町まで帰ろうかと考えたんですが、何かそれもかえっておこがましいというか、虫がよいというか、そう思えて…… むしろ縁を切らして貰って見知らぬ土地で野垂れ死にした方が償いになるのでは、とも思ったりして……」と写真を見ながら話した。
何時の間にか十二時近いのに気がついて戸を開けたら雨がひどくなっている。てっつぁんが奥から傘を持ってきて「これを持っていって下さい。あのホテルには娘が勤めていて、今日は泊まり番です。帰る時娘にあずけてくださればけっこうです」と言った。
それが蛇の目傘だった。マツコが使っていたものだという。
娘は大人しそうな美人だった。何かてっつぁんに顔の輪郭が似ているような気がした。
Kの話を聞き終わってママは「新派みたい」と言った。
酔いにまかせKは話を多少脚色しているのではないかとも思ったが、野暮に問いただすこともあるまいと思った。
それからKはこんなことをつけ加えた。
A温泉のことがあってから、たまたまH山にくわしい郷土史家が出した本を読んだ。そのなかにH山の「石子積み」の行(くだり)があった。
それは罪を犯した山伏を死罪にするとき穴のなかにひきすえて、大勢の人が石を投げて殺す。石を投げても死なない場合は死ぬまでそのまま放っておかれる。石に埋った当人は鳥に突つかれたり、狼に食い裂かれたり地獄のような苦しみを嘗めさせられるというのである。
石で打ち殺す刑罰は昔ユダヤにある(新約聖書「姦通の女」のところにも出てくる)ことは知っていたが、それと似たような刑罰がH山にもあったとは初めて知った。
しかしそれよりもこの文章を読んで何故かてっつぁんとマツコを思い出したのである。そしててっつぁんが別れ際に言った「見知らぬ土地で野垂れ死にした方が……」という言葉が頭をよぎったのである。
話し終わったKに私はふと思いついて尋ねた。
「マツコの家は誰が後を継ぐわけ?」
Kは「私だ。マツコの父が亡くなったのですでに私が養子になって継いでいる」と言った。
