2007年02月12日(Mon) 21:46
ママの涙 -3
このDかあちゃんも、Cママも、娘に駆け落ちされたママも昭和一桁生れ、それも前半の方である。何れも十五、六才頃から家のために働きに出された。女が近くで手取り早く働けるとなればめらし(農家の下女)と水商売位しかなかった。娘盛りが丁度敗戦直後の生活難の頃で、結婚どころではなかったようである。
結婚といえば最近は夫婦で飲み屋、小料理屋をやっている店も結構見られる。カウンターの中で旦那が魚をさばいて黙々と料理をつくり、若々しい奥さんがテキパキと客にサービスする風景は、何か健気に見えて清々(すがすが)しい。
尤もなかにはママと馴染み客の間を疑い、嫉妬のあまり客を刺した亭主、かと思うと或日突然亭主を捨てて、見習いの十九才の少年と駆け落ちした小料理屋のママ。
苦労の末店を持ったのはよいが、性懲りもなく若い女をこしらえるダンナをあきらめ切れない自分を嘲笑うかのように飲んだくれる中年のママ。
夜はサラリーマン亭主に子供を預けっぱなしで、水商売にどっぷりつかり、ちょくちょく朝帰り。文句ひとついわず朝飯をこしらえるその亭主との仲は決して悪くない少しばかり不思議な若いママ。
男と女の関係はいろいろである。そのいろいろを潜って彼女達はしたたかにその日を生きていく。
ところでSママも昭和一桁生まれである。彼女は戦後高等女学校(旧制)を卒業すると間もなく結婚した。それも半ば暴行されるみたいにして、気がついた時には二十才過ぎたばかりのMの嫁になっていたというのである。オトコのオの字も知らない初(うぶ)で純情な十八才になったかならずの小娘がである。
一方Mは中学校(旧制)時代(戦時中だった)は名うての不良で他校にもその名はとどろいていた。いうなればバンチョウである。いつも自転車のチェーンをしのばせ、鉄製の手甲をはめて喧嘩をした。
戦後Mは或地方新聞の支局にもぐり込んだ。結婚してからはさすがにあまり喧嘩はしなくなったが、街のヤクザ連中はMに一目置いた。一匹狼だった。よくパチンコ屋で見掛けた。玉がなくなるとガラスが割れんばかりに台を叩きつづける。すると裏で店員が黙って玉を受皿に落としてよこす。偶々隣でやっていた私を見てバツが悪そうに首をすくめる仕草をしてみせ、玉を分けてよこしてニヤッと笑った。そのいたずらっぽい表情が印象にある。
Mは東京に飛び出した。結婚してふた月と経たないうちにである。数か月後やっとMの居所が判ると、Sは姑から米とタクアンを持たせられて東京に追いやられた。車中たえずタクアンの匂いを気にしながら、生まれて初めて上野駅に降りた。
全くの田舎者のSは西も東も判らずただオロオロと暮した。Mは或私立大学の学生になりすましていた。テンプラだったようである。進駐軍のキャンプでアルバイトでもしているのかよく向うの缶詰やチョコレート、洋モクなどを持ってきた。三日も四日も留守にして、不意に帰ってきては友達と一緒にマージャンと酒に浸った。女も混じった。時にはアメ専門のパンパンも入り込んできた。彼女達は人がよいというか、気前がよいというか、Sによくハンカチやネッカチーフ、時にはブラウスまで呉れたりした。何故か彼女達はネッカチーフをよく使っていた。
とにかくこうして皆が入り込んでくるとおんぼろアパートの六畳一間は足の踏み場もなかった。その揚句雑魚寝だった。Sは台所で膝を抱えてうつらうつらした。
さすがにどういう神経なのかと思った。逆らうとアザが出来る程殴られた。
とうとう鶴岡の実家に逃げ帰った。それっきりである。二年足らずの東京生活だった。出戻りの身でぶらぶらしているわけにはいかなかった。飲み屋で働いた。当時のSにすれば一大決心である。しかし飲み屋の水が合っていたのか、みるみるうちに水商売の女になりきった。男のあしらいにも慣れた。Sは変貌した。
ついには妻子のある男に惚れて、一緒に姿を消した。戻ってきた時には女の子を一人抱いていた。
二年振りで飲み屋商売に戻り、独立してママになった。
確か娘が高校生になり、店も二軒程潰して、三軒目のバーを開いた頃である。Mが会いたいと電話を寄越した。近くの温泉宿にいるから来てくれという。全く突然だった。不意にひとつの現実に引き戻されたような気分だった。
SママはMにはやはり「こんな女に誰がした」という思いが心の底に疼いていたのだ。尤もそれを支えに水商売をつづけてきたようなところもあり、むしろ時にはそれに甘えているようなところさえあった。
会う気になっていた。殆ど三十年振りである。Mは痩せて何か疲れ果てたような姿でいた。五十過ぎの筈だが、すでに七十近くにも見えた。
帰るとき廊下に出てきたMは「済まなかった」と軽く頭を下げた。唐突だった。
それは突然呼び出して済まなかったというようにも取れ、またあの頃のことを詫びているようにも取れた。いや詫びるなら部屋で会っているときにちゃんと詫びる筈だとSママは思ったりした。
Mが亡くなった。三十年振りで会いに来てから一か月目である。癌だったという。
矢っ張り。Sママはあのときの「済まなかった」を改めてかみしめた。
今朝方東京から電話が入ったのだというSママは「お通夜だ、私のオゴリ、飲もう」とブランデーを注いだ。
先刻から出来上がった隣の客が何のことかとキョトンとしてSママの顔を見たがすぐカウンターに突っ伏した。
Sママはそれをきっかけのように、グラスを私のに合わせ一気に飲み干した。
