2007年02月09日(Fri) 21:48
ママの涙 -1
皆から御目出度うとお酌されて、いつもの笑顔で受けていたKママがふっと顔を伏せた。束の間の涙。こっちは何か不意をつかれた感じでうろたえた。
冗談半分から始まったKママの送別会だけにである。送別会といってもKママの店のホステス二人と、看板まで飲んでいた我々どうしようもない二人、急遽小料理屋にKママを押し立てて流れただけである。
四十才を越えたKママが初めて結婚に踏み切って、二十年以上も勤めあげた水商売の足を洗うのである。さすがにシュンときたのであろう。
結婚相手は十四、五才も年下で他県の人だそうである。店に通ってきて口説かれたらしい。気がつかなかった。仙台に世帯を持つという。
Kママと仲のよいホステスTはやっと掴んだ彼女の結婚を我が事のように喜んで躁いだ。しかし酔いが回るにつれ、年の違いやら、鶴岡を離れたことのない淋しがりやのKママに、年下のTはずけずけと気持を確かめていた。
今まで男関係のひとつやふたつはあっただろうと思うのだが、とにかく結婚を前にした小柄なKママはちょっと大袈裟だが、小娘のように初々(ういうい)しかった。
そういえば或和風スナックの三十才過ぎのママも年下の青年と結婚したのを覚えている。いつも和服だったのが急に洋服に変えて若々しくなった。すすめるといくらでも飲んでいた酒を殆ど口にしなくなった。煙草にも手を出さない。禁酒禁煙とは又偉い心境の変化、次は禁欲ときて尼さんにでもなる気かと馴染みから冷やかされたが、それが反対で近々結婚するのだと自分から嬉しそうに白状した。十年近くもつづけた店を惜しげもなく畳んでサラリーマンの主婦におさまった。
結婚のためには暖簾も未練もなく、いさぎよく看板を降ろすママが目についた時期があった。水商売の女性の中には、何時かは結婚して身を固め、水商売の足を洗いたいという願望が意外と強い人が見える。
Kママと仲のよいTは反対に、結婚に敗れてバー勤めをした。まだ二十才前のとき、周囲の反対を押し切って男のアパートに走った。やがて妊娠。その頃から男は寄りつかなくなった。別に女が出来たのである。それ見たことか、今のうち別れた方がよいと忠告してくれる人もいたが耳を貸さなかった。意地になった。しかし定職もない、しょせんヤクザな男だった。やっとあきらめの気持を固めて、生まれたばかりの男の子をおぶって実家に戻った。その後男は傷害事件か何かで警察のご厄介になったと聞いた。
Tはあの頃は若かった、見えなかったのだと年に似合わず淡々と話した。
若いといえばバーに勤め初めの頃のTには、子供がいるとは思えなかった。小柄な故もあったが、まだ中学生上がりみたいな感じで、正直色気にも乏しかった。自分でも認めていた。
何の話からか「Tちゃんは不感症なんだ」とからかわれて、怒りもせずそうなのだとむしろ真面目な顔をして、どうしたら「感じる」のだと客に尋ねたりした。
不感症といえば、若い頃は水商売の女性は性的不感症が多いのではないかと思ったことがある。毎日男客相手に色気出して愛嬌を振り撒くのに一々その気になっていられないのではないか。その気になったときは商売抜きになっている場合が多いのだろう、と。
又浮気したの、別れたのと、この世界では結構賑やかに繰り返しているのも、ひとつには性的不感症がそうさせているのだと、心密かに独断と偏見を抱いていたというわけ。もてないこっちのヒガミなのかも知れない。そういえば美人程不感症だと断言している男もいた。
ところでKママが去ってしばらくしてTは独立してバーを持ちママになった。少しは色気も出てきたかなと思う頃、別れた男が店を覗いた。十数年振りである。ヨリを戻しにきた風でもなく、子供に会いたくてきたのでもない。ごく普通の馴染み客のようにして飲んで帰った。Tママは別にこだわりもなく応対した自分が自分でないような気がして不思議だった。
その後ちょくちょく飲みにきた。確かにこの男と暮したことがあるわけだが、さっぱりと、心が動くことがなかった。
一年程過ぎて男は東京で働くといって姿を消した。それから一週間程して店のホステス(一人しかいない)が急にやめた。
男とそのホステスが東京で一緒に暮していると聞かされたのは大分経ってからである。店にいるときすでに出来ていたのである。昔の女の前でである。Tママはやってくれたと苦笑するしかなかった。客から「Tママはだから不感症なんだ」と変な風に冷やかされた。Tママはそれよりもそのホステスが男から捨てられなければよいがと案じた。
もっと人生いろいろ……
