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2007年02月06日(Tue) 10:15

カフェ「くろねこ」

 昭和二十九年といえば高校教師になったばかりの年だった。
 初めて七日町の「くろねこ」という酒場に連れていかれた。入るなりこれがカフェだなと思った。
 私の年頃でカフェという酒場は戦前の小説や映画を通してしか知らないのだが、「くろねこ」がそのイメージ通りだったというわけである。
 カフェと呼ばれるような酒場はもう鶴岡では此所だけだという。
 因みに鶴岡にカフェが出来たのは昭和の初期で、最初「ライオン」、その後「パリ」「くろねこ」「こうもり」「キング」と増えたようである。「くろねこ」はこうしたカフェの生き残りといってよい。

 店の中は丁度汽車の座席よろしく五つ六つのボックスが並び、あとは多少補助席のようなもので、実際の広さも雰囲気もちょっとこじんまりという感じだった。
 女給が数人、といっても女給とはいわなかったし、といってホステスという言葉もまだ使わなかったように思う。
 お互いにはるちゃんだのあきちゃんだのと呼び合っていて、ママとかマダムとかいう立場の女もいなかった。
 店の陰に和室の帳場があって、オーナーがそこで彼女たちを取り仕切っており直接店には顔を出さなかった。酒・料理の類は帳場の奥から運んできた。
 彼女達は大抵和服で、その故か私のような若いチョンガーには何となくお姐さんか、小母さんのように見えた。和服であっても店全体は、少しばかりお古い洋風ムードというところだろうか。それぞれ明るく、伸び伸びと客に接していた。

 レコードはその頃流行のあちらのリズムの歌などで、歌謡曲はあまりかけなかったような気がする。料理も時折コキール、ムニエルとか、サラダ、木の実など。何かそこここに戦前のハイカラという言葉が残っているような雰囲気などもあった。
 客といえば、商店の旦那衆、鶴岡文化人の類い、農家の親方衆から我々の如きサラリーマンに至るまで巾広かった。或は市や県の議員の顔もチラホラ見えた。

 何時か酒の勢いと若さにまかせて、鶴岡のボスで保守派の長老といわれる県会議員に議論をふっかけ、噛み付いたのだが、それがどう勘違いされたのか、妙に信用されてオゴッてくれたりした。このボスなど、戦前若い頃は今でいうプレイボーイで、いち早く鶴岡でクルマを乗り回したり、カフェ開店に一役買ったりしたくちのようである。
 今考えると教師駆け出しのくせによく通ったものだと思う。しかも青臭い議論をふっかけてシラケさせる当時の私など何と鼻持ちならない若造に見えたに違いないと、今もって忸怩(じくじ)たるものがある。

 飲み代はツケにするか、先輩が一括して払い、それを給料日に割勘にした。安月給の私には相当痛かった。しかし今のバーなどよりは、割安に、しかも気楽に飲めたような気がする。決して客の足元を見たり、ボルことはなかった。

 とにかくカフェ「くろねこ」は私にとって、飲み屋遊び、いや修行の手始めだったといってよい。
 その「くろねこ」も三十五年にやめ、場所を移して当世流行のサロン風の酒場「門」に変った。しかしあのカフェ「くろねこ」のムードは残しておきたかった。
 

 (地名・店名などは、平成三年の執筆当時のものです)