Home >> ふる里つるおか飲み屋ばなし >> つるおか飲み屋ばなし

2007年02月05日(Mon) 19:02

飲み屋誕生模様 -2

 サロンとかキャバレーといっても当時我々飲んべえ族には何をもって区別するのか定かではない。その点「南国」などはキャバレーといい切れる程の規模とムードを持っていたように思う。そういえば店のサービスマッチにキャバレーと書いてあるのは「南国」だけであとはサロンバー、グランドバーなどとあった。

 スタンドバーの草分けは五日町川端通りの「りんどう」ではなかっただろうか。確か三十二年である。
 カウンターだけのこじんまりした店で、最初止まり木と称するスツールには何となく落着かない気分だった。三十過ぎの粋なつくりのママと、まだ水商売に染まっていない感じのミッちゃんと呼ばれていた若い女(結婚していたのかも知れない)が手伝っていた。そのミッちゃん目当にくる客も案外いたような気がする。
 ミッちゃんといえばそれから二十年も過ぎた頃だろうか、再会した。文映跡向いの一郭に開店した「凡」のママにおさまってすっかり貫禄がついていた。

「りんどう」の後から五日町川端の飲み屋街はバー形式の店が目立ち客を集めた。戸は部厚く見せた扉、いずれもカウンターを設け、棚には国産の洋酒を並べた。大抵間口は一間か一間半位か、店の中は細長く、裏はすぐ川端で、下手すると内川に飛び込みそうだった。とにかく戦後の急拵えの安普請の名残りがありありだった。店にトイレがないため、公衆便所(二か所あった)に駆け込み、そこで他の店のホステスとばったり出会い、ツレション?になったりした。

 こうしてスタンドバーのムードがあちこちに漂う五日町川端だったが、あまり気取りがなく気安く飲めたような気がする。飲み屋だけで二十軒近くもあっただろうか。
「酒仙」「ぺいとん」「すみよし」「マリモ」「こまどり」「エデン」「日本海」「月」「王将」「いっぺい」「じゃのめ」「ルナ」「わかたけ」など。又「いち造」「やちよ」「小龍」「きく」のママは皆寅年で五日町の四トラと呼ばれた。いや「酒仙」もそうで五トラ。いやいや「りんどう」もだということで六トラ。以上思いついたまま順序不同という次第。
 狭いながらも一国一城のあるじで個性的なママ達が多く商売にも勢いが見られた。

 バーではカクテルが流行り、ママ達は付焼刃とはいいながらミキシングし、シェーカーを振って奮闘した。いっぱしのカクテル通を気取る客も増えた。カクテルは女性を口説く特効薬とばかり、女性と見ればカクテルをすすめ、あわよくばと食い下がっているいけすかないダンナもいた。
「ぺいとん」などでは焼酎カクテルをつくったりした。味はともかく安く飲めた。

 こうした中で国産洋酒専門のバーも増えた。早かったのが「トリス」で「モロゾフ」「オーシャン」「45」バーなどが現れた。
 この中には洋酒会社のチェーンバーのような店があり、蝶ネクタイのバーテンが馴れた手つきでシェーカーを振った。ママはそのバーテンを立てているようで控え目ムードという感じがあった。

 ママといえば「月」のはるママは「くろねこ」の出身だった。後に映画館中劇(現在の文興駐車場)の一郭で「サニー」を経営した。「サニー」はそのはるママが引退した後、子飼いのともちゃんが引継いだ。その後ともちゃんは中劇が取り払われるのをきっかけに独立して、映画館銀映跡(現在の銀栄ビル)に「とも」を出した。
「くろねこ」出身では「立花」のママもそうだった。最初店は中劇の通りにあったが、後に映画館鶴岡座の通りに移った。もう一人「くろねこ」の跡に出した「稲穂」もである。あとで「北国」に変えたと思った。この「稲穂」のママもはると呼ばれていた。「くろねこ」当時私はエバ・ガードナーと渾名をつけた。丁度店にあったエバ・ガードナーのブロマイドとよく感じが似ていたのである。この和服エバ・ガードナーはビール一筋で、喉を鳴らして一息にコップを空ける飲みっぷりは見事だった。

「くろねこ」出身のママはもう一人二人いたような気がするが、とにかくそれだけ「くろねこ」には器(うつわ)が揃っていたということであろう。

つづく
他に小料理屋風、居酒屋風など、ユニークなママたちの飲み屋が……


(地名・店名などは、平成三年の執筆当時のものです)