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2007年02月04日(Sun) 22:02

飲み屋誕生模様 -1

 昭和三十年代の鶴岡といえば、次々と新しい飲み屋の誕生で活気に満ちていた。丁度飲み盛り?だった私にとってはグッド・タイミングであったといえるかも知れない。
 鶴岡程人口の割に飲み屋の多い町はないのではないだろうかと思う程増えつづけた。

 とにかく新規開店のネオンも目映く、我々飲んべえ族はまるでデートよろしくいそいそ、うきうきと飲み屋の扉を叩いた。私などは一人で入る程の勇気もなく大抵、先輩や同僚の後にくっついて行った。別にもてもしないくせによく臆面もなく、あちこち飲み回ったものだと思うと何とも気恥ずかしい。
 昭和三十年代といえば日本の経済は高度成長期を迎え、飲み屋商売にも景気が回ってきたのだろう。
 もう三十年以上も前で記憶も定かではなく、ましてや酔眼朦朧の当時のこととて、記述のいい加減さには御容赦願うしかない。

 当時主な飲み屋街といえば、七日町界隈、バラック建てのハモニカのような五日町川端通り、今の昭和通りのところどころ、大泉橋たもとの八間町マーケット街、それから駅前といったあたりだろうか。

 七日町はもともと色街だったこともあり、以前から「三浦屋」「七尾」「大多喜」などの料亭が控えており、神楽橋を越えた上肴町には「若松軒」「新茶屋」なども構えていた。又七日町には戦前からのムードを引き継いでいるような、カフェ「くろねこ」があった。まだ新しいバーなどが現れない頃は唯一の酒場として繁昌した。しかしこの「くろねこ」も三十五年に「門」となってサロン風の酒場に変った。一寸残念な気がしたものである。いわゆるバーブームに乗ったわけである。今でも当時の「くろねこ」を懐かしむ声を聞くことがある。

 サロン、キャバレー風の酒場といえば、いち早く現れたのが三十三年五日町の「コギン」ではなかったかと思う。アルバイトのバンドが入り、ホステス達とダンスに興じた。当時は社交ダンスがなかなかで、クイック、ブルース、ちょっと気取ってタンゴにワルツ、さらにホステスとの意気があったとばかりにジルバにルンバといったところ。私などはせいぜいクイックにブルースでそれも正式のステップも怪しげな、チークに身をやつしてばかりいた。
 とにかく「コギン」などは目新しいこともあってしばらくは随分賑わった。まだボックスだけで今のようなカウンターはなかったと思う。その「コギン」は後に映画館文映跡(現在の文興ビル)向いの方に移って「ソシュー」の名で経営した。「コギン」の少し後だったと思うが「門」と同じ七日町に反物屋のおやじさんが確か「リボン」という店を出した。どちらかというと素人っぽい、気前のよい店だったが間もなくやめて「火の車」という普通の飲み屋に転じたがこれも間もなく消えた。文字通り地(じ)を看板にして居直っている感があった。
 とにかく飲み屋の浮き沈みは飲んべえ族を一喜一憂させていたといっても大袈裟ではなかったようである。

 昭和通りの料亭「新萌」の筋向いに「南国」のネオンが一際目立ったのは「リボン」より後だったと思う。何となく鶴岡ナンバーワンといった、キャバレーの雰囲気だった。
 バーテンに数人のボーイ、ママ以下ホステスは十人位はいたと思う。バンドも入れ、フロアも相当広かったような気がする。ボックスにつくと「御指名は」と聞きにくる。客のオーダーをホステスがぱっとマッチを擦ってかかげ、カウンターのボーイに合図を送るなど、そのキャバレームードが当時珍しく、新鮮だった。ボーイやバンドのメンバーなどは山大農学部の学生の結構好いアルバイトだったようである。

「南国」というと思い出すのは、私の一人遊蕩?である。
 それは或時ツケを払いに行ったら(何故か私一人だったのだ)店が風俗営業でひっかかったらしく営業停止中だった。裏から入って行くと、そこはママの住いと、ホステス達の寮である。カンジョウ酒につられて、のこのこと上がってしまった。ところが退屈していたホステス達はよいカモとばかり取り囲んでのサービス。湯上がりのスッピンで、しどけないどころかあられもないファッション?は店とは又違う格別の気分。それを好いことに腰を落着けてカンジョウ酒どころではなくなった。揚句の果ては営業停止中の店に繰り出して又飲むやら、チークダンスやら。何のことはない退屈なホステス達のホスト役にいじり回された感じ。まあとにかく豪遊ではあった。その時の飲み代(しろ)はどうなったか覚えていない。

 その他サロンキャバレー風の酒場といえば「パラダイス」「クイーンビー」「アルバイトサロン」「銀馬車」「カジノ」、ちょっと変った「百花村」という店が鶴園(つるぞの)橋たもとにあった。ただ時期については多分その頃か少し後かと思うだけで一々はっきりしない。


つづく
その後現れたのはカウンターだけのスタンドバーだった……


(地名・店名などは、平成三年の執筆当時のものです)