Home >> ふる里つるおか飲み屋ばなし >> やきとり屋ものがたり

2007年02月02日(Fri) 20:25

やきとり屋ものがたり(13)-4

 親方つまり義父も母とは再婚。息子が一人いた。義父は連れ子のあたしをこき使った。母との間に子供が生まれると子守をさせられた。碌に学校にも行かせられなかった。行くときは子供をおぶってだった。勉強が好きだった。これでも成績はよかったのだ。一人で学校へ行きたくて、朝子守をさせられる前に便所(農家の便所は大抵外にあった)に行くふりをして裏口から出ると、あらかじめ軒下の薪の間にかくしておいた教科書を抱えて一目散に学校へ。友達と遊べるのが楽しかった。しかし夜はそのため夜半まで外に立たされた。

 十二才のとき、隣町の料理屋に奉公に出された。布団に入るのは午前二時になることもしばしば。お座敷女中達となかば雑魚寝。朝は六時に起きる。それでも子供だから手当は安い。その安い手当を全部義父が持っていった。義父も舅と同じように金銭には吝嗇(けち)で汚かった。一人でも口が増えると物要りが嵩む。継子のあたしなどには無駄飯を食わせたくなかったのだろう。そして現金が欲しかった。母はただ黙っていた。

 母の実家の伯父が見兼ねて、奉公先から引き取って学校に行かせてくれた。高等科に進ませてくれた。伯父とて余裕があるわけではなかったが。
 勉強は面白かった。今まで後れていた分はすぐ取り返した。意地もあった。夜は週に二度程友達と一緒に青年学校の先生のところに裁縫を習いに行った。駄菓子をつまみ、他愛もないおしゃべりをしながらである。娘時代の一番楽しかったひと時であった。

 卒業後、母の所に戻ると義父から又すかさず働きに出された。めらし(農家の下女)である。やはり手当は全部義父が持って行った。したがってこれまで自分の手当が自分の手に入ったことは一度もない。
 こうなっては義父から離れることだと思い、村を出た。意を決して鶴岡の駅前の食堂で住込みで働いた。しかし義父はそこまでもやってきて給金を持って行った。ただお客から時折貰うチップが懐に入った。

 母が義父と再婚するとき、義父の先妻の子、長男つまり義兄とあたしを一緒にさせる約束をしていた。許嫁というわけである。あたしにはそんな気はなかった。その義兄を好きでもなかった。
 年頃になると義父も義兄もあたしを待っている気配がありありだった。さんざん働かされた揚句である。どうも他家から嫁を迎えるより手取早く、又婚礼費用も安くあがると踏んだらしい。

つづく
義兄と結婚させられそうになったあたしは鶴岡から逃げ出すことに……