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2007年02月01日(Thu) 20:41

やきとり屋ものがたり(13)-3

 特にうちのひとが好きだったわけでもない。それより当時二才だった母親のいないその長女に引かれたということはあった。
 あたしの母も後妻に入った。だからといって母の真似をしたつもりはない。強いていえば逆に母への面当てだったのかも知れない。
 いずれにしても、いろいろあって娘心もゆれていた頃で、どうにでも早く身の始末をつけてしまいたかったといった方がよいかも知れない。

 結婚して一年も過ぎた頃、うちでは群馬県の軍需工場に徴用に取られた。家には舅、小姑(亭主の姉)が一人居た。あたしは長女と生まれて間もない次女を抱えて暮しに追いまくられた。
 舅と小姑は嫁であるあたしを女中のようにこき使った。財布は舅が握っていた。いちいち必要な金額だけ貰って買物に出た。米櫃などは舅の部屋にあってこれもその度に自分で計って寄越した。何故かまだ独身の小姑は舅の部屋で父娘で菓子やら御馳走を食べている様子だった。まるで我々母子に対しては余分な動物でも飼っているような扱いだった。お前の亭主がお国のために働いているのだから遊んでいては勿体ないのだとばかり、あたしに内職をさせた。子供を傍に寝かせながら、一時、二時頃迄働いた。その工賃も殆ど舅が取り上げた。そんな舅の仕打ちに近所の人が見かねたのか、用事にかこつけて呼び出しては御馳走してくれた。

 ところがそんな舅が何とあたしに手を出してきた。その時はさすがにあたしも「ジョローヤに行ってやってこい」と思いっきりぶっ飛ばしてやった。欲望の捌け口に息子の嫁と寝ようとする舅の浅ましさに吐き気がした。ふと、前妻が離婚したのもその辺にあるのではないかと思ったりした。

 うちのひとが徴用に行ってから数か月も過ぎた頃、屑籠の中からあたし宛の書留の封筒を見つけた。勿論中は空(から)だった。うちであたしに送金してきたのを舅はだまって猫糞を決め込んでいた。舅にいっても無駄だと思い、あたしに送金する時は実家の母の所に送ってくれと手紙を書いた。しかし二回程送金されてきた後、うちでは現地召集になって送金の方は途絶えた。
 子供に駄菓子などを買ってやろうにも小遣いがなかった。とにかく何時も饑じがって食べ物をねだる子供が可哀想だった。「おじいちゃんのところに行って貰っておいで」とやると「お母ちゃんから貰え」と舅は追返して寄越した。それでなくても戦争も酣となり食糧事情も悪くなった。

 仕方なく二週間に一度位はH村の母や伯父(母の実家)のところに行った。百姓なので御飯だけは腹一杯食べさせてくれた。帰るときは母は握り飯や野菜、米二、三升持たせてくれた。米は結局、舅にお土産として出さざるを得なかったので何もならなかった。そんなことを繰り返しているあたしの様子を見にきた母がさすがにひどいと思ったのか、亭主が帰るまでと、あたし達母子を引き取った。
 実家はそう裕福でもなく、母は自分の旦那である親方に気兼ねするふうで、何かおどおどしていた。そんな母に好感が持てなかった。しかし、よく親方が承知したと思った。どうも伯父が口添えしてくれたらしい。

 母はあたしをつれて、母の実家と同じ村のこの百姓の親方の後妻に入ったのである。あたしの実の父はH村から車で一時間程離れたS市で、小さな会社の社長をやっていた。そのまま順調に暮していたら、あたしはお嬢さん、母は社長夫人で何不自由なかったかも知れない。父は四十才の時肺炎をこじらせ呆気なく死んだ。母はあたしをつれて実家に戻った。一人いた兄は父の実家に引き取られた。その兄は勉強がよく出来、大学卒業後満鉄に入り活躍したが、その後消息が判らないらしい。中学生(旧制)の頃の兄が、母とあたしを訪ねてきたが母が追い返したと後で聞いた。どうも旦那である親方に知られるのを恐れたらしい。

つづく
母が後妻に入った家ではこき使われて……