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2007年01月30日(Tue) 20:46

やきとり屋ものがたり(13)-1

 そう、あたしはその男から五千円借りて、やきとり屋を始めた。あれから三十七年になる。やきとり屋の元手に何としても五千円必要だった。

 思い切ってその男が泊っている定宿に行って頭を下げた。ちょっとばかり面食らった様子だったが、黙って出してくれた。
 子供たちを食べさせていくためにはそれしか思い浮かばなかった。よくもつらつけなく(あつかましく)借りに行ったものだ。貸す方もよく貸したものだと思う。
 結局五千円は返さず仕舞いだった。貰ったといった方がよい。返す機会を失ってしまったのだから。
 その五千円は、譲り受けた屋台の代金に二千円、電気工事代などに二千円、あとは、器物類、仕入れ代など。足りない程だった。

 うちの亭主はその男が金を出してくれたことは知っていた。別に隠すこともなかった。だって戦後、兵隊から帰って全然働こうとしないうちのひとが文句をいえるものではない。しかし内心はその男に拘っていることは判っていた。それはそうだろう、自分のカカアに他所の男が大枚五千円も出してくれたんだから。

 その男?隣のN県から此方のダム工事の仕事できていた。「親方」と呼ばれていた。多分現場監督あたりか、いやもう少し上か。その男の定宿にアルバイトで女中をしていたとき目を掛けてもらった。よく湯野浜などに繰り出して芸者を揚げて遊んだ。羽振りはよかった。湯野浜に土地を買ってやるからメカケにならんかと笑い飛ばすようにして言った。あたしの苦労を見通していたから、そんな冗談も出たのだろう。いやもしかすると多少は本気だったのかも知れない。
 断っておくが男と女の関係ではない。こっちはかりにも亭主持ちだという気持があった。それよりもその男はオトコのヤクに立たない身体だったのだ。それなのにイロオンナ(あたしじゃない)がいた。N県にちゃんと妻子もいた。
 不能になったのは何でも兵隊で負傷したためとか、いやダム工事のためとか。
 その後その男は一回店にきてくれた。その時あわてて五百円程まとめて借金返済の一部のつもりで出したが、その男は俺より金持になったら貰おうと笑って受取らなかった。それきりだったと思う。今は生死の程も判らない。生きていれば八十才は過ぎている筈だ。
 とうとう金は借りっぱなしだ。いや貰ったことになってしまった。

 とにかくその男のお陰でやきとり屋を始め、五人の子供を育ててきたということになる。
 昭和二十七、八年頃は幸いやきとり屋が繁昌した。手軽に一杯といった飲み屋は他にあまりなかったのである。しかしいくら繁昌したといっても屋台店の売り上げなどたかが知れている。その日その日を子供達に食べさせるだけで精一杯だった。
 夕方四時頃から十二時過ぎまで商売。時には午前二時三時ということもあった。隣近所から何しているんだろう。まともな仕事じゃあるまいと後ろ指を差されたりした。しかも中学生の長女を頭(かしら)に五人の子供を留守番させてである。亭主は毎晩のようにほっつき歩いては飲んだくれて、あてにはならなかった。

 商売も新米の頃はいじめもくった。
 隣の屋台がやきとり屋仲間で称するフクカイチョウ(副会長)のカカアがやっていた。色白の一寸男好きのする女だった。その屋台に同じく称するカイチョウ(会長)が毎晩のように通ってきた。カイチョウのカカアといえばやはりやきとり屋をやっていたのだが病気で亡くなった。それから何日も経たないうちにフクカイチョウのカカアに通いだしたのである。前から気があったらしい。フクカイチョウは当然面白くない。カイチョウが帰った頃を見計らって屋台に顔を出す。嫉妬でカッカとなった頭は、酒で更に火に油の調子で喚く、暴れる。当然客は寄りつかなくなる。それを又フクカイチョウはカカアの商売が下手だからと逆に罵る。飲み足りないと隣近所の屋台をハシゴする。隣だから先ずうちにやってくる。そして必ず、お前は誰のお陰で屋台を出せたのだとフクカイチョウ風を吹かして只酒を飲む。そしてせまいカウンターに腰かけて絡みだす。とんだいじめである。その故でこっちも客足がおかしくなってきたことがあった。
 フクカイチョウのカカアは随分亭主の仕打ちに耐えた。焼酎買う金もなく、客がくると酒ややきとりを借りにきた。明日の朝の米がないと帰りに借りて行ったこともあった。
 とどのつまりカイチョウの所に逃げた。というよりフクカイチョウが自分のカカアをカイチョウのところに追いやったような結果になった。

 他所の亭主をとやかくいってられない。うちの亭主にも困ったものだった。全然といってよい程働こうとしない。

つづく
働こうとしない夫はその後・・・