2007年01月29日(Mon) 21:52
やきとり屋ものがたり(12)
例のごとく学校の宿直室で一杯やって、山添(櫛引町)から鶴岡にたどり着くと三日町の内川沿いの馴染みのやきとり屋に腰を据えた。丁度六月に入り屋台のなかを吹き抜ける夕方の川風が爽やかだった。その折は三人だったと思う。
一番年長のTさんは男の匂いのプンプンする壮年真っ盛りという感じだった。髪は青年のように艶やかに黒々とリーゼントふう。それよりも魅力的なのは長い揉み上げとすばらしく濃い鬚。その青々とした剃り跡はバーのホステス達をゾク、ゾクッとさせる程。その鬚の濃いところから生徒の間では「クマさん」の渾名もあった。服装も挙措も折目正しく、謹厳スタイルふうだが、磊落なところも見られた。
Tさんは普段あまり流暢にしゃべる方ではない。酔がまわってくると声高になり「オー」「オー」という間投詞を矢鱈にくり返して一言一言区切り、区切り話す。遠くから聞いているとそれこそクマが吼えたてているように聞えなくもない。
八時も回り、好い加減出来上ったところで珍しくTさんが歌った。他の客が歌ったあと、我々にお鉢が回ってきてTさんが代表で歌わされたという所である。もちろん当時はカラオケなどない。
Tさん十八番の「赤とんぼ」。この歌一本槍である。学生時代コーラスなどで鍛えた喉だと聞いている。藤原義江ばりのまことに格調高い「夕やけ、小やけの赤とんぼ」である。赤とんぼがタキシードを着ている調子である。ところがその赤とんぼが二番に入るころから低空飛行になってくるのである。音楽の苦手な私でも判る程音程が怪しくなってくる。しかし格調高さは崩さない。いや格調高すぎて怪しくなってくるようにも思える。
何とか赤とんぼが竿の先にたどりついたところでもう一人の同僚が待ち兼ねたように腰をあげた。すこし経って一番奥に座っていたTさんは残り酒をぐいっと空けると、すっと起って「じゃお先に」と私を残して裏側から出て行った。すっと起ったのはよいが出て行く姿はよろりとして可成の酩酊である。Tさんとは家が同じ方向なので、後を追うべく立ったままあわててやきとりを平らげていると、外から「オーッ、オーッ」と低い音がする。何か地の底からのような感じである。食用蛙の鳴声にも似てる。どうやら川からである。屋台を出て川を覗くと暗闇のなかに何やらうごめいている。そして「オーッ」。Tさんだ。川に落ちたのだ。水嵩はまるでないのだが、ヘドロのような泥のなかにすっぽりはまったのだ。
自力であがれぬこともないようだが、とにかく酔っていることとて他の客にも応援を頼み、手を差し伸べ引きあげた。胸近くまで見事に泥んこであり、ずぶ濡れである。
酔ったTさんはかあちゃんの座っている方の裏側を入り口と勘違いして出たのだ。しかも近眼で眼鏡をかけている。そこはもう一歩とない川べりである。例の姿勢正しく謹厳スタイルで川に向って歩調をとり、もろに転落したのである。幸い怪我はないようだった。かあちゃんが雑巾を寄越したが間に合うものではない。一刻も早く家に帰るしかない。ちょっと待っててと私は屋台に戻り応援してくれた客に一杯奢るべくかあちゃんに頼んだりして、出て見たら居ない。また落ちたわけでもあるまいと思い付近を数度探して見たが影も形もない。
Tさんてれくさいのだ。ひたすら家に急いだのだと後を追うが見えない。Tさんの家に寄ってみたが帰ってないという。そのまま黙ってわが家に着いてからしばらくしてTさんの家に電話をしたがまだだという。
最後まで一緒に飲んだ者としてどうも責任みたいな気持が引っ掛かる。あれからどうしたのだろう。
翌日Tさんは休んだ。しかし翌々日は何事もないような顔をして、謹厳スタイルでやってきた。何かホッとした。
Tさんは私を見て何も言わず深々と頭を下げた。私の方がかえってバツが悪い具合だった。
その後そのことについてはTさんとはあまりあからさまに話したことはない。
今はもう居ない。退職を前にして亡くなった。八月の暑い盛りの日、教会での葬儀だった。Tさんとは職場が別々になり十数年も会っていなかったのだ。あの格調高い「赤とんぼ」が懐かしかった。と同時に内川に落ちた泥んこの姿が浮かぶ。
讃美歌を聞いているうちに、そのことが自分のなかに、消えることのない僅かな痼りとして残って行くような思いがした。
Tさんが川からあがって家に帰るまでの時間、一体何処でどうしていたのか、私にとっては謎になってしまった。もしかしたら相当に酩酊の体だったTさん自身、謎だったのかも知れない。
やきとり屋で飲み足りなくてか、内川酔泳としゃれた?男は他にもいたようだ。
私がやきとり屋で聞いた話ではやはり教師だった。
川べりで鼻歌まじりで立小便をしているうちに足を踏み外したらしい。秋のことで水嵩が多少あったそうだが、自力で這いあがったという。さぞや冷たかったろうと思う。
殆ど全身ずぶ濡れの身体を震わせながら家にたどりついた。そこで奥さんに完膚無きまで叱られ、半年程やきとり屋に姿を見せなかったという。
ところが別の所に行ったら話が違っていた。その先生普通飲んで帰る時でさえ、自宅の百メートルも前からネクタイを締め直し背筋を伸ばし今までの千鳥足はどこへやら、別人のようにシャンとして玄関の戸を開けるのだそうである。だからびしょ濡れの泥だらけの体たらくでは奥さんに殺されかねない。先生、家に帰らず学校の宿直室にもぐり込んだ。宿直の先生を起こして火鉢に炭をつぎ込んで一晩中乾かしたとの話。
とにかく又聞きだからどれが本当か判らないが、いずれにしても相当の奥さんのようではある。
ところで私は落ちかけたことがある。やはりやきとり屋の帰りである。昭和橋が橋の架け替え工事中だった。橋桁に角材を二三本渡してあるので、遠回りするのも面倒だと渡り始めた。工事用の赤ランプが点いているので川底もぼんやり見えるが思ったより深い。その角材は細いし、打ちつけてあるわけではないのでぐらぐらする。そのうえ酔っているときている。平均台に乗っているより始末が悪い。途中遂にバランスを崩して躓き、慌てて橋桁にしがみついたという不様さである。
内川と飲み屋、わけてもやきとり屋台。その風情はれっきとした「ふる里鶴岡風物誌」の一齣に違いないのだが残念ながら今は見られない。
内川は媚びることなく、妥協することなく黙っておだやかに流れる。我々飲んべえ族はその内川に、時には駄々をこねながらも安んじて飲み歩く。
それにしてももう少しきれいな流れであってほしい。そういえば昔は本当に泳げたものだという。
