2007年01月24日(Wed) 20:42
やきとり屋ものがたり(8)
やきとり屋「K」のかあちゃんは屋台一筋三十数年になるという。私が教師になる一年前からである。やきとり屋仲間では最古参の方である。彼此七十才、もうおばあちゃんだが馴染みは今でもかあちゃんと呼ぶ。
そのかあちゃんには、成程やきとりを焼いて三十数年の歳月を重ねてきたなと思わせる証(あかし)がある。それは手である。両手の指が折れ曲がったまま殆ど伸びないのである。リューマチが高じた結果らしい。暑さ寒さをいとわずに、絶えず水を潜って働いてきた手である。伸びない指でビールのセンを抜き、酒の燗をし、やきとりを焼く。そう不自由そうでもなく馴れたものである。
「気がついたらこんな手になっていた」とかあちゃんは笑う。足腰の方もリューマチか神経痛かで時折医者に行っているらしいが、火床の前に座ればシャンとしたものである。屋台一筋といったが、「K」は炭火一筋でもある。今は魚屋でもやきとり屋でもガスで焼く。今だに炭火を使っている屋台は「K」位ではないかと思う。私などはその方が正道で、美味いのだと思い込んで通っているようなところがある。いや実際に美味いのである。
客の注文を受けてから、かあちゃんは火床の灰に埋けてある炭火を掻き立てる。そうしておいて俎と包丁を取り出し、冷蔵庫から出したダルムやレバの塊をきちんと串数分だけ切り、ネギを刻み、やきとりを作り始める。
他の屋台では大抵すでに串に刺して作ってある。注文を聞いてから、その場で作り出して焼くかあちゃんの手順に馴染んでしまった私などには、炭火と一緒でその点でも美味いと思わせる。確かに手間はかかるが、その都度食べる分だけ作るその手間に親切と、新鮮さみたいなものも感じるのである。
そのうえ「K」のやきとりは大ぶりなのである。他に比べて二串分近くはあるかも知れない。それこそ一貫してその大きさは変らないのである。
そういっては何だが、たかがやきとりである。吹けば飛ぶよな屋台店である。むしろたかがやきとりとかあちゃん自身わきまえているから、三十数年腰を据えてやってこれたといえるかも知れない。
そもそも少しでも日銭を稼いで、子供に饑じい思いをさせまいと始めたのである。
炭火一筋といっても最初からそんなつもりで通してきたわけではない。炭も高くなり、便利で安くつくガスに切り換える店が出てきた頃「K」にもその気持がなくもなかった。しかしまとまった現金がなかった。その後「やはりやきとりは炭火に限る」との客のお世辞?に乗ってその気になり換えないできただけである。
その「K」が最近あまりやきとりを置かなくなった。やきとりを食べる客が少なくなったという。客といっても近頃は殆ど馴染みだけである。それが以前程食べなくなった。食べ飽きたのか、それとも年の故か。
最近の「K」のかあちゃんはそんな馴染みだけを相手に商売を楽しんでいるようなところがある。子供も独り立ちして今更この歳で生活を賭けてやきとりを焼くこともない心境のようである。これからは儲けよりボケ防止だと笑う。
もう九時前にはフリの客はお断り、赤提灯を消してしまういさぎよさである。
そして馴染みの話に加わりながら、指の曲った両手でコップを抱きかかえるようにして飲む酒は美味そうである。
