2007年01月21日(Sun) 19:01
やきとり屋ものがたり(7)-1
やきとり屋の屋台が年々減ってきている。此の間も消防署脇の川端の行きつけに寄ったら、隣の屋台が消えていた。最初の頃は十二軒程並んでいたのが、今は四軒になってしまったという。
やきとり屋組合に入っているのが現在十軒位、入ってないのが数軒ある模様で、鶴岡市内(旧市内)のやきとりの屋台店は十四、五軒というところらしい。(昭和六十三年現在)もっとも市道などの公道で商売をしている屋台数だが。
全盛期といえば三十数年も前の頃だろうか。七十軒は越えていたようである。
当時は一寸一杯といえば殆どやきとり屋に足が向くという具合だった。まだスタンドバーなどもなく、手頃な居酒屋も少ない頃だった。やきとりの魅力は一寸一杯族だけではなく若い娘や子供にまで及んだ。
しかし経済も高度成長期に入ると、スタンドバーが現れ、洒落た風な飲食店なども建つようになった。やがて一寸一杯族の懐具合もいささかあたたかくなってきているわけで、やきとり屋では満足しない客も目立つようになった。ただでさえ五、六人も座れば満員お断りの狭い屋台で(そこが屋台のよさでもあるが)、しかも利がうすいのに、客が減るばかりとあっては見切りをつけて店を畳むかあちゃん達も出ようというものである。
そのうえ市の方ではどうもこのやきとり屋台を邪魔もの扱いにしているようなところがある。今は一旦やめてしまうと再び営業出来ないのである。他の人に譲り渡すことも出来ない。屋台が消えてしまうのである。つまり市ではすぐさま屋台を取り壊す。
やきとり屋の大半は市の道路をただで使用しているわけで、市では通行のために差し支えると何とか追放したいのである。都市計画などの側からも美観を損ねるしろものと見ていたようである。
昭和三十年迄三日町川端通り橋三つ(鶴園(つるぞの)橋、三雪(みゆき)橋、千歳(ちとせ)橋)の間には二十軒もずらりと並んでいたものである。夕暮になると暖簾が忙しげにゆれ、やきとりの煙が川面に流れるその光景は、私達一寸一杯族にはむしろ美観と映った。鶴岡独特の風物という印象さえあった。
市のやきとり屋追放は昭和三十年、その三日町川端通りの立退きから始まったようである。このやきとり屋商売に生活を賭けててきた大半のかあちゃん達は、エプロンを袂に突っ込んで市役所に押し掛けた。過去に何らかの形で戦争の痛手を被っていて、生活の支えにとやきとり屋で頑張っているかんちゃんも少なくなかった。
結局やきとり屋組合と市役所の土木課との交渉で、対岸の消防署脇に移転することで落着いた。その頃昭和通りや鶴岡座(映画館)通りはまだやっており、そっちに移った店もあった。しかしそこも間もなく立退きになった。
やはり客足は落ちたという。川ひとつ隔てただけでこうも違うものかと思ったそうである。そして丁度世の中は高度成長期とやらに向い、スタンドバーや、しゃれた風な飲食店も現れてきたのと重なったというわけである。やきとり屋の隙間だらけの屋台には景気が素通りするだけだった。
そんな時、かてて加えて、市では屋台を日中、道路に放置してはならんと面倒なことを言い出してきた。
(地名などは、平成三年の執筆当時のものです)
