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2007年01月20日(Sat) 21:56

やきとり屋ものがたり(6)

 たまたま「やきとり」を辞典で引いたら、季題は冬となっていた。そうかも知れない。とくに屋台で煙をあおぎながら炭火(最近は殆どガスだが)で焼いた熱いのを串からしごいて食べるなどは夏より冬のムードであろう。
 山添(櫛引町)に通っていた頃、ひと冬に数回は積雪のため、バスも何も不通で鶴岡、山添間を歩いたものである。時には朝日村落合にあった分校までも歩いた。生徒を早々に帰して、数人の飲み仲間と例の如く一杯引っ掛け、その勢いで鶴岡に向って歩き出す。全く暗くなり、時には地吹雪、猛吹雪を衝いてである。馬の背のようになった雪道を探しながらである。半分手探り状態で小一時間程歩き、やっと鶴岡にたどりつく。まさに雪の降る町鶴岡の夜である。
 しかし大抵真っ直ぐ家に帰らない。むしろそれからが遠いのである。
 雪の中から遠くぼんやり浮かんで見える、赤提灯の灯をみてホッとし、又勢いづく。びゅびゅうと吹き荒ぶ猛吹雪の晩などはさすがに、赤提灯が見えず、やっと一軒だけポツンと雪の中に灯を点しているのを見つける。その屋台のたたずまいに、遙々としたなつかしさが流れ、一瞬寒さを忘れさせる。今にも吹き飛ばされそうな頼りない屋台のシルエットに、近づくと、実は意外としぶとく耐えているのである。
 「今晩はヤケに冷える」と言いながらやきとりを焼く炭火に忙しなく手をかざして、燗がつくのを待つ。戸の隙間から容赦なく雪が入り込む。足の先が感覚がない程に冷たく凍え、小刻みに動かさないと我慢出来ない。最初の一、二本はあっという間に飲んでしまい、はやくはやくと暖まるのを心にせかせる。やきとりのタレの匂いが身に沁みる。やっと人心地がつくとベニヤ板一枚を境にして吹雪の荒れ狂う外界とは完全に遮断された気持になる。
 四十ワットの裸電球のぬくもりの下で、一坪半の片隅の饗宴?に時を忘れる。何時の間にか夜半をとうに過ぎ、止むことを知らない吹雪の音に我にかえる。
 戸が凍り付いて開かない。自然が鍵をかけてくれた。
「かあちゃん、シャベル」と皆で雪掻きをし、ついでに屋台をたたむのを手伝う。
最後に赤提灯がすっと消える。そしていくつかの人の影がそこから散って、後は吹雪の乱舞する闇の世界になる。暗転である。
 今の今までの一坪半の片隅の世界は跡形もない。