2007年01月17日(Wed) 17:24
やきとり屋ものがたり(3)
鶴岡はやきとりといっても大抵は鳥ではなく豚である。それも殆どがモツ(臓物)である。少なくとも屋台のやきとりはそうである。
何故焼き鳥が豚のモツの串焼きなのか、別に訝ることもなく食べつづけてきた。私には焼き鳥だろうが焼きトンだろうが、やきとりが好物であることには変りはない。
もっとも鶏の肉、モツ、皮、などを出す飲み屋もなくはなかった。昭和通の「鳥よし」は現在唯一の鶏専門のやきとり店である。
昭和三十年頃だったか、同じ焼き鳥でもすずめやつぐみを食べさせる屋台店が一軒あった。恐らく当時でも真っ当では手に入らなかったようで馴染み客だけにこっそり出していた。
やきとりの初めはその言葉通り、鳥、特に鶏だったようである。
奥山益朗編「味覚辞典」東京堂出版によると「鶏肉、内臓(モツ)、あるいはつくねを串に刺しタレをつけて焼く。又塩で焼いた淡泊なのもある。なお屋台などのやき鳥はほとんどが豚などの皮や臓物である」とやっている。
ちゃんとした料理店では鶏で、屋台では豚ということは、豚は鶏の代用として使われ、それだけ安かったということでもあろう。
なお「味覚辞典」には「鳥は料理屋、飲食店のおとしを貰い受け、残肉を剥ぎてこれを煮る(中略)犬の肉をソップ醤油に浸して、鳥と称する」「なるほど鳥に違いないが雉の筋または臓腑である」などの引例が見える。大道商い、夜の露店のやきとりのことである。やはり鶏は相当高級だったようで屋台では使っていない。使っても残肉やモツである。犬の肉なども代用しているのである。
なおこの引例は明治時代の資料によるところを見ると、その頃にはやきとりの屋台はすでにあったのである。
モツなどはゲテモノ、下等な食べ物であって露店や屋台でなければ出さなかった。
そういうやきとりを食べたのは車夫などの労働者だったようである。
しかし豚などのモツは安いし、なかなかいける味ということで売行きもよかったらしく、これはこれでやきとりの地位を高めていったようである。
なおやきとりの専門店が出現したのは、関東大震災後とか、昭和の初期とか。もっとも鶏のやきとりであり、主に東京のようである。
それはそれとして、鶏でも豚でもやきとりとして一般庶民に広く親しまれるようになったのは戦後である。
鶴岡もその例にもれないのである。しかも屋台で生まれ、育ってきたといってよい。そして豚が主流なのである。
私などはやきとりは屋台で食べるに限る、決して料理屋の座敷で上品に食べるものではないと思っている一人である。
東京、大阪あたりはやきとり専門の老舗があるようで、最近ではグルメブームに乗って、ナニ様みたいな料理と気取っている調子も見える。フランス料理じゃあるまいし、Aコース三千円だの、当店の鶏の味が判らなくなるので酒は三合までだのとプライドふんぷんの店すらあるらしい。
たかがやきとりである。
鶴岡の内川の川端通りの屋台のやきとりなどはそのたかがも、たかがである。たかがやきとりだから気取りもへったくれもないのである。
それぞれの屋台でかあちゃん達が、心をかけ手間をかけて、串に刺したやきとりはそれなりに美味いのである。
裸電球の下で、炭火で一度に十本程並べて焼きあげていくかあちゃんの手捌きを目の前に見ながら、焼酎の一、二杯もひっかけて順番を待つ。たちこめる煙、火にしたたり落ちるタレの匂い、隙間だらけの囲いの屋台だが、いつもあたたかいのである。
そして「お待ち遠」と手を伸ばして皿に乗せてくれる焼きたてに、さっとトウガラシをふりかけ串から忙しく口でしごく。ときにはやきとりにくっついた炭火や灰を取り払いながらである。
とにかくその雰囲気がこれ以上うまいものはないと思わせるのである。そしてやきとりはモツに限るのである。すぐさまその場で喰いつくに限るのである。
