2007年01月16日(Tue) 22:20
やきとり屋ものがたり(2)
安上がりで、手取早く飲めるところといえばやきとり屋だった。無論屋台店のやきとり屋である。今でも安上がりには違いないが、昭和二十八、九年頃のやきとり屋は何か活気に満ちて、独特の風情があった。二十軒も並んでいた三日町川端通りは特にそうだった。四時過ぎにもなると、縄など解いて板をはずし、屋台を組立て周囲を葦簀や板戸で囲って、開店の準備である。川面に向かって団扇であおいで七輪に火をおこす。近くの民家からバケツに水を貰ってくる。臓物類(主に豚である)をネギと交互にせっせと串に刺す。その他家でつくってきた酒のつまみなどを取りそろえる。そのうち酒や氷が配達される。炭火を火床に移し、狭いカウンターと椅子を拭く。あとは四十ワットの裸電球を灯し、暖簾を下げて準備完了である。何時もの手順である。
そういえば当時赤提灯はまだなかった。殆どの屋台が提灯を掲げるようになったのは、昭和三十年過ぎ、三日町川端通りから消防署脇などに分散してからだそうである。「初孫」で寄付したのが始まりという。
とにかくこうして、おばちゃん、かあちゃん連中のやきとり屋商売は始まるのである。決してといってよい程、若い娘、それから男のやきとり屋はいなかった。
仕事上がりの職人風、カバンを抱えた会社員や役所関係の二、三人連れが暖簾をくぐる。いずれも五、六人も座れば満員盛況である。
やきとりを焼く煙とタレの匂いが川端通りに立ち込めてくる感じになると日も暮れてくる。立ち並ぶ屋台全体が急に酔いがまわったように、ざわめき浮き立つ調子である。やがて暖簾の内側ではすでにコップ酒の数杯もあおり、やきとりの串を飛ばしては声高になってくるとすっかり夜である。
内川の流れを背にして同じような間隔で並ぶやきとり屋の光景はあたかも何十年も前からのような、ゆるぎないひとつの世界を映し出し何か独特の雰囲気をかもし出す。
しかしそれも夜半も過ぎようとして、裸電球がぽつりぽつり消える頃になると、そのゆるぎない世界は束の間ということになる。
翌朝二日酔の頭をかかえてそこを通り、やきとり屋の屋台がぺしゃんこにたたまれて見捨てられたようになっているのを見るとき、何かしら「つわものどもが夢のあと」といったような気分である。
