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2007年01月16日(Tue) 22:15

やきとり屋ものがたり(1)

 私が初めて鶴岡のやきとり屋の暖簾をくぐったのは、大学を出て教師になったばかりだから昭和二十八年である。三日町川端通り(鶴園(つるぞの)橋から三雪(みゆき)橋、千歳(ちとせ)橋までの間)に並ぶ屋台店だった。当時そこだけで二十軒も立ち並んでいただろうか。まさに夕暮ともなればやきとり銀座の如き観があった。もう最古参格になる「金久」もその当時からで、彼此三十数年になるわけである。ただ「金久」が鶴岡で初めて食べた店だったかは定かではない。
 ところで鶴岡で最初に始めたやきとりの屋台店といえば、昭和二十四年山王神社の池の端に出した「えのもと」といわれている。
 大学生の頃帰省する度にそこを通った。大抵夜なのでそのやきとりの匂いが空きっ腹にこたえるのだが、一人で入る勇気もなく(金もあまりなかったが)いつも横目で通り過ぎては家に急いだ。その後何時の間にかもう一軒並んでいた。確か「どど平」だっったと思う。
 三日町川端通りにやきとり屋が並び始めたのは、それから一年程後だろうという。
 しかし三十年にはもう立退きを市から命ぜられている。僅か数年間ということになるが、私にはこの三日町川端通りの頃がやきとり屋全盛時代という印象が強い。もっともそのころ一番足繁く通ったからかも知れない。といっても私にとっては二十八年からだからほんの三年足らずということになる。
 その後は、対岸の消防署脇の川端通り(「金久」などはそこに移った)を中心に、映画館鶴岡座通り、新萌亭の通り(昭和通り)などにそれぞれ分散した。
 その他やきとり屋屋台といえば、旧(もと)の第一小学校脇(現在の市体育館脇)、八間町、第二公園、鶴岡座通り向うの羽黒街道筋、駅前、七日町神楽橋たもとなどに集まっていた。一寸した道路至るところにやきとり屋ありという感じだった。
 他に手頃な飲み屋が少ない頃で、サラリーマンや職人などはたやすく一杯飲むには懐具合からいっても安心して飲めたようである。
 役所関係が退庁時ともなれば、やきとり屋に足が向くネクタイ族も相当なものである。仕事から解放された気分を内川の風に乗せて歩けば、ごく自然にやきとり屋が待っているという具合なのである。
 今も暖簾が見える「ぐんばいや」「さかえ」「やえ」「六助」「金久」などは当時からつづいているやきとり屋である。
 (昭和六十三年現在。文中の地名なども執筆当時のもの)